江戸時代に農書『農業全書』によると、黄瓜(きうり)又の名は胡瓜(こうり)、これ下品にて賞翫(しょうがん・味のよさを楽しむこと。賞味すること。)ならずといえども、諸瓜に先立ち早くできるゆえ、田舎に多く作る物なり。都にはまれなり。
従って、胡瓜は江戸時代初期には完熟になり黄色くなった後、食していたらしい。
また『本町食鑑』によると『大体蔬菜としてよくない。ただし塩漬・粕漬して蔵し、香の物とすると良い。京の俗言によると祇園神社の氏人が胡瓜を食べれば必ずたたりを得るといわれている。これは社頭及び神輿に、昔から瓜の紋を画いているからである。およそ禁裏及び神祇のとばりには瓜の紋を画いているものが少なくない。これは胡瓜を横に切って圏を作った形になっている、私はこの件に関して詳しくない。』と記述している。
従って、胡瓜は江戸時代初期には完熟になり黄色くなった後、食していたらしい。
また『本町食鑑』によると『大体蔬菜としてよくない。ただし塩漬・粕漬して蔵し、香の物とすると良い。京の俗言によると祇園神社の氏人が胡瓜を食べれば必ずたたりを得るといわれている。これは社頭及び神輿に、昔から瓜の紋を画いているからである。およそ禁裏及び神祇のとばりには瓜の紋を画いているものが少なくない。これは胡瓜を横に切って圏を作った形になっている、私はこの件に関して詳しくない。』と記述している。