年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

氷砂糖

2007年01月26日 | 福神漬
1883年(明治16年)には静岡県森町の鈴木藤三郎が現在の氷砂糖のもととなった氷砂糖製造法を確立した。この製法で作られた氷砂糖は氷のようにきれいな結晶であり、従来品と比較して良質な甘さと安い価格が評判になったとのことである。その後精製糖(白砂糖)の生産へと進み、1890年(明治23年)以降には東京・小名木川に日本製糖株式会社の設立、更には台湾製糖株式会社を設立し、近代日本の砂糖産業に多大な貢献をした。
 『砂糖の消費量は一国の文化のバロメーター』といわれ、明治元年には砂糖の輸入額は87万円だったものが10年後には278万円となり20年目には571万円、明治31年には2837万円の輸入額となっていて我が国第二の輸入額となっていた。富国強兵を目指す明治政府は外貨を浪費する砂糖消費を抑える必要があったが幕末の不平等条約によって関税の自主権が無く、砂糖の輸入を抑えることが出来ず、かえって国内の砂糖生産地を衰退さてしまった。
 砂糖の国産化は国是となっていた。明治25年には鈴木精糖所の氷砂糖は中国産の輸入を抑えたくらい品質が向上した。そして日清戦争に向かった。台湾が日本領土となり台湾精糖の強化が国の方針となった。
 砂糖の価格は江戸時代よりはるかに安価になったから漬物にも使用され福神漬となったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする