年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

上野・寛永寺と漬物の関係

2007年01月05日 | 福神漬
天海僧正は紫衣事件(1627)の時、沢庵和尚(沢庵漬の普及者)を減刑するために柳生宗矩・堀丹後守直寄等と奔走しました。(沢庵和尚書簡集)
元和年代(1615-1625)、上野には堀直寄の屋敷のほかに藤堂高虎、津軽越中守の屋敷があった。寛永2年(1625)に天海の発意で、寛永寺が草創され、堀家が作り寄進した凌雲院は上野最大の塔頭であった。堀直寄は上野の山に戦乱の死者を弔うために大仏を造りました。(上野大仏・関東大震災で壊れ,先の大戦時に供出)他にも祗園堂なども寄進した
また、日本における公共図書館の祖といわれる了翁禅師も関係しています。薬「錦袋円」を作り、販売した収益で図書館をつくりました。また福神漬のもとになるような漬物をつくっていたという文献もあります。なお、薬「錦袋円」を販売していた店は関東大震災まで池之端にありました。
 このような縁で上野の地は漬物と関係があるのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする