年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

了翁禅師 1

2007年01月17日 | 福神漬
上野の地は明治の中頃、福神漬の成立に必要だったのでしょう。更に調査していくと了翁禅師という人が福神漬を作ったというのがあります。
 平成12年3月20日の日本経済新聞の朝刊記事で、江戸時代初期に自ら考案した万能薬を販売して巨万の富を得、その私財をすべて慈善事業につぎ込み学校や文庫を作った僧侶がいた。その僧侶こそ秋田県湯沢出身の了翁禅師である。
 上野に僧侶の寄宿舎兼学問所『勧学講院』を開き、宿舎では大量の野菜屑が出たが,了翁は食べ物を粗末にするのを嫌い、すべて漬物にし、これが福神漬の元祖といわれる。
 台東区中央図書館には了翁禅師の本が郷土史料の所に3冊あります。ちなみに都立中央図書館は1冊しかありません。しかし、どの本にも福神漬の記述はありませんでした。昔は当り前のことは史料として残っていません。漬物はほとんど無く、かえって長屋王の史料のほうが多い気がします。江戸時代の武士や町民の家計簿なんかを読むと酒・塩・味噌・米の購入の記録はあっても漬物を買ったのはありません。明治の末の『食道楽』にも漬物は自家製が当然のようになっていて記述が少ない、いや無いといってよいくらいです。
コメント
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