年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治の発明王 鈴木藤三郎

2007年01月25日 | 福神漬
福神漬は多数の野菜を醤油と砂糖で味付けたものが基本です。従って、醤油と砂糖の歴史、特に酒悦の創製した時代の明治を知らなければなりません。特に静岡県出身の鈴木藤三郎をとりあげねばなりません。
鈴木藤三郎は「「江戸っ子だってねえ、寿司喰いねえ。」寿司をみれば無意識にこのセリフが口に出るほど有名な森の石松(今はガッツ石松の方が有名)の静岡県森町の出です。
今では地元の人以外忘れてしまった明治の発明王、特に日本の食品工業の近代化における業績はかなりのものがあります。だだ晩年の醤油醸造業の失敗が過去の人にしてしまいました。
明治初期の砂糖の状況
砂糖の輸入額は明治初年から15年頃までは綿花類、綿織物、毛織物についで第4位であったがその後輸入額が増加し、明治の終わり頃は綿花類に次ぐ第二位の輸入品となっていた。そして綿花類は綿糸布に加工して再輸出するから問題ないが、砂糖は全部が国内消費されるもので,正貨流出の最大の原因となっていた。
        鈴木藤三郎伝より
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