年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治屋食品辞典 昭和11年より

2009年08月14日 | 福神漬
明治屋食品辞典 昭和11年より
明治屋1930年頃取り扱い食品プライスリスト396項目から 
ふくじんつけ 福神漬
沿革 明治18年、東京下谷仲町の酒悦(江戸時代には屠蘇・カラスミ・雲丹等を売っていた)野田清右衛門氏がなた豆、大根、しそ等を醤油で煮たものを漬物にし売り出す時、梅亭師(小石川指ヶ谷町住居)の許へ、名前を付けて引札を書くことを請うた。梅亭師は材料を七種にさせ、酒悦が仲町の弁天(不忍の池)の付近なのと七色を七福神に見立て福神漬と命名した。また引札にこの漬物を食すると他の菜がいらないから贅沢せず、知らず識らず金がたまる。また福が舞い込むとあった。酒悦は何度も代が変わったが成功している。(出典・食道楽・昭和6年・江戸趣味座談会・鶯亭金升氏、氏は梅亭氏と酒悦との対話を見聞し者)
一説 明治19年上野公園内にて大日本水産会第一回品評会があり、同会陶山陶山清猷氏が本品を試食してその着想と食味を賞賛し、店主野田にすすめて同品評会売店に出店して販売することとなったが、まだ定まった名前がなかったので田中芳男、河原田盛美の案として七種の材料から成った漬物ゆえこれを七福神に擬し,福神漬にすべしという説に賛成多く、店主もこの命名に喜びついに福神漬という名称を附すに至った。(大日本缶詰沿革史)
 今用いられている材料はなた豆、ナス、大根、しそ、キュウリの五種は各ブランド共通。福神漬の品質は醤油の良否に左右されることが甚大で、従って野田や銚子等の上等の醤油の産地を控えた東京付近に良品が産する。現在元祖酒悦の外に多数のブランドが販売されている。
 福神漬は万人向けのカレーライスやハヤシライスの薬味としてよく用いられる。日清日露の戦役には多大の需要があった。明治44年福神漬発明者野田の顕彰碑が浄光寺に建立した。
27ページから29ページまで
明治屋食品辞典には漬物はピクルスのところにまとめてあるのに福神漬はどの様な理由があるのか独立した一項目となっている。戦後の食品辞典もこの辞典から殆ど引用されているといってよい。水産会の品評会は明治16年で19年は誤り。
コメント
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