年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

團團新聞社主 野村文夫2

2009年08月05日 | 福神漬
團團新聞社主 野村文夫2
『団団珍聞・まるまるちんぶん』『驥尾団子・きびだんご』がゆく 木本至著より
野村文夫の経歴は明治10年頃の團團新聞の創刊の頃から後半の人生となる。
 明治政府が安定して来ると芸藩(広島)出身の野村は英国で知った出版文化のほうに目が向いていった。
 新聞を発行する企画を立てたが、読者の興味をさそう文章を書く作家が見つからなかった。そこで当時出版されていた寄笑新聞に注目した。寄笑新聞こそ梅亭金鵞が主筆であった。梅亭金鵞を迎え団団珍聞は明治10年西南戦争の頃に始まった。政治を漫画風にして批判するような新聞(今の感覚だと雑誌)を発行し、間もなく34万部も出るようになった。明治16年頃から根岸に住んでいた長井総太郎(鴬亭金升)の投書が團珍に載るようになった。梅亭が弟子を派遣して長井を團團新聞社に入社するようにすすめた。17歳の鶯亭金升が誕生した。
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