年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

成島柳北とタクワン

2009年08月20日 | タクワン
成島柳北
読売雑評集 明治14年10月19日
沢庵漬の説
私は質素に育ったゆえ、幼少の時より、沢庵漬を良く食べていた。三食必ずこれを食べていた。家に古い召使がいて私が沢庵を好むのを知っていて、その重石の置き加減を慎重に加減して、新漬は新漬、古漬は古漬と自ら判断して、あるときは重石を軽く。又あるときは重く、重石の加減を良くしていた。四季とも沢庵の味良く、私にして食事に魚がないことを嘆くことはなかったのは美味しい沢庵があったからである。
 然るに近頃、その古い召使が田舎に帰ってしまった。他の召使に代わって沢庵を管理すると、沢庵の重石加減の程度を知らず、ただ押しに押したので沢庵の味はだんだん悪くなった。私が日々ののしりわめいたが、仕方がなかった。程なく田舎より古い召使が戻ってきたので、この状態を話すと次のような答えが召使からかえってきた。
「それ沢庵は押さねば漬からないものである。それ故石の良いものを選び、この石で押し、沢庵の塩加減をよくすればもとより必要なことだが、ただ押せば良いものだと思い込み、その大根の性質を問はず、その糠塩の多少を考えず、むやみに押し付けるのが良いと考えるのは甚だ心違いである。茄子には自ずから茄子の漬け方がある。瓜も自ずから瓜の漬け方がある。茄子も瓜も沢庵も同じ漬け方にすべしと思い、ただ重石のみ強くかけるのは台所を任せられているもの間違いである。重石の軽重は自ずから状態を判断してよきを図ると良い。」といった。
 私はこのことから次のように思った。「ああ妙なことだ。古い召使の言葉だ。世間の道理は往々にしてこのようなものだ。何事も軽重のよろしきをを失うとき必ず悪い結果を招く。なんぞ沢庵漬のみのことではないことだ。」と書いて世間の人に知らせたい。

明治初期の話で今でも十分通用する話である。
コメント
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