年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

河鍋暁斎美術館へ

2009年08月21日 | 福神漬
河鍋暁斎美術館へ
JR西川口駅で降りて、駅前の交番にて河鍋暁斎美術館行きの地図をもらった。地図がなければとてもいけそうもないところにある。途中の交番に半旗が掲げられていた。そう訪問したのは8月15日の終戦記念日である。ネットで調べておいたので美術館は開いている。途中の交番から先はカリン(花梨)通りという。見事なカリンが葉の陰で実っていた。
 駅から15分ほど住宅街の中を歩いていくと河鍋暁斎美術館の看板がある。指示に従ってゆく。美術館の隣にある喫茶店らしきところで入場券を買って入る。先客がいて学芸員の説明を聞いているのをについて聞く。今は幽霊の絵が特別に展示していた。
 今回の訪問した目的はある資料から河鍋暁斎が根岸で明治22年亡くなったという。根岸とどのような関係があったのだろうか。この件で美術館の人に聞く。河鍋暁斎は明治17年頃から根岸に住んでいたという。資料は明治20年ころ根岸に引っ越したことになっている。根岸党との関係はあったのだろうか。饗庭篁村が根岸に住んだのが明治19年のことなのでほぼ同じ頃になる。
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