河鍋暁斎美術館にて2
河鍋暁斎(かわなべきょうさい)
1867 (慶応3年) 37歳 上野の東叡山寛永寺管主輪王寺宮家の家臣・大沢行衛の娘・近(ちか)と結婚し湯島四丁目に住む。
12月10日(慶応四年1月4日)娘・とよ(後の暁翠)生まれる。
1870 (明治3年 ) 上野・不忍弁天の長蛇亭にて、俳諧師・其角堂雨雀主催書画会で描いた戯画により、逮捕、投獄される。狂斎から号を暁斎と改める。
訪問した美術館の学芸員の話から、狂斎から暁斎となったので読み方は《キョウサイ》となる。上野戦争直前に生まれた娘は幸田露伴・夏目漱石・内田魯庵・正岡子規・鶯亭金升・小栗上野介の娘(国子)と同じ明治元年生まれ組と重なる。江戸で生まれた人たちは親幕府・反明治政府(反薩長)になる人が多い。特に輪王寺の縁者を娶った河鍋暁斎は旧幕臣および下町(絵画の購入者)ひいきとなるのは当然のことである。酔った勢いでどのような絵画で新政府の反感を買ったのだろうか。明治3年頃は上野のあたりは寛永寺参拝客もなく不景気の頂点だった。幕臣は静岡に行き、地方から来た人(下級武士)たちとの江戸市民の摩擦となる。この関係は第二次大戦後日本に進駐した米軍と日本人の関係と重なる。
河鍋暁斎(かわなべきょうさい)
1867 (慶応3年) 37歳 上野の東叡山寛永寺管主輪王寺宮家の家臣・大沢行衛の娘・近(ちか)と結婚し湯島四丁目に住む。
12月10日(慶応四年1月4日)娘・とよ(後の暁翠)生まれる。
1870 (明治3年 ) 上野・不忍弁天の長蛇亭にて、俳諧師・其角堂雨雀主催書画会で描いた戯画により、逮捕、投獄される。狂斎から号を暁斎と改める。
訪問した美術館の学芸員の話から、狂斎から暁斎となったので読み方は《キョウサイ》となる。上野戦争直前に生まれた娘は幸田露伴・夏目漱石・内田魯庵・正岡子規・鶯亭金升・小栗上野介の娘(国子)と同じ明治元年生まれ組と重なる。江戸で生まれた人たちは親幕府・反明治政府(反薩長)になる人が多い。特に輪王寺の縁者を娶った河鍋暁斎は旧幕臣および下町(絵画の購入者)ひいきとなるのは当然のことである。酔った勢いでどのような絵画で新政府の反感を買ったのだろうか。明治3年頃は上野のあたりは寛永寺参拝客もなく不景気の頂点だった。幕臣は静岡に行き、地方から来た人(下級武士)たちとの江戸市民の摩擦となる。この関係は第二次大戦後日本に進駐した米軍と日本人の関係と重なる。