年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

花香恭次郎墓碑から

2009年10月06日 | 福神漬
花香恭次郎墓碑から
河野広躰の書
 彼(鉄丸)が江戸深川で生まれて2年ほどで父は亡くなった。落ちぶれ孤独に苦しんでいたので年の離れた兄に相談した。すぐ上の兄は永井家に養子に行っていた。戸田伊豆守氏栄3男は長井昌言という名になっていた。兄は鉄丸を憐れみ、書物を読むように指導した、その後縁あって幕臣花香恭法の養子となり、花香恭次郎となった。ちょうど戊辰戦争の時今の千葉県香取郡にいた。いろいろな彼の経歴で出身が香取というのはこのような理由かも知れない。また明治23年7月に行われた第一回衆議院議員選挙において千葉3区で立候補し落選したのもこの地縁と思われる。
花香恭次郎が12歳のころ明治維新となった。東京に戻り洋書を学び、政治を志したという。
花香恭法は高野長英の逃亡を助け、千葉県香取郡干潟町萬歳(まんざい現千葉県旭市萬歳)に匿ったことで知られている。恭次郎は蘭学人脈で養子に行ったようである。
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