年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬物語 9

2009年10月29日 | 福神漬
七種類の野菜の番外
きゅうり
きゅうりは江戸時代の初期はへたの部分が苦かったため、下品の野菜とされ初物競争の野菜にならず、従って作付け制限が無く本格的に普及したのは江戸時代の後期からです。江戸時代初物を競争している時がありました。幕府は過剰な競争のため米の作付が減ることを恐れて作物によって色々制限を設けました。
江戸では「胡瓜の切り口が、徳川家の三つ葉葵(みつばあおい)のご紋に似ている」というので旗本直参連中は食べるのを断り、同じく切り口が三日天下で終わった明智光秀の家紋「桔梗」にも似ているので縁起が悪いと敬遠されました。江戸時代は、輪切りにすると徳川家の家紋である葵の御紋に似ているところから、それを食べるのは不敬であるとして、キュウリを輪切りにされることは慎まれていたという。

 福神漬の最初の日本農林規格(JAS)には原材料としてきゅうりは入っておりません。上野寛永寺で栄えた門前町としては徳川家の家紋に似た切ったきゅうりを入れることは明治に入っても避けたのでしょうか?
江戸時代に農書『農業全書』によると、黄瓜(きうり)又の名は胡瓜(こうり)、これ下品にて賞翫(しょうがん・味のよさを楽しむこと。賞味すること。)ならずといえども、諸瓜に先立ち早くできるゆえ、田舎に多く作る物なり。都にはまれなり。
 従って、胡瓜は江戸時代初期には完熟になり黄色くなった後、食していたらしい。
最近改定された福神漬のJAS規格に胡瓜が原料として入りました。多分キュウリにまつわる話が知らなかったと思われます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする