年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬物語 10

2009年10月30日 | 福神漬
明治の砂糖価格の下落
福神漬は数種の野菜を醤油と砂糖で味付けたものが基本です。従って、醤油と砂糖の歴史、特に酒悦が創製した時代の明治を知らなければなりません。静岡県周知郡森町出身の鈴木藤三郎をとりあげねばなりません。
今では地元の人以外忘れてしまった明治の発明王、特に日本の食品工業の近代化における業績はかなりのものがあります。ただ晩年の醤油醸造業の失敗が過去の人にしてしまいました。
明治初期の砂糖状況
砂糖の輸入額は明治初年から15年頃までは綿花類、綿織物、毛織物についで第4位であったがその後輸入額が増加し、明治の終わり頃は綿花類に次ぐ第二位の輸入品となっていた。そして綿花類は綿糸綿布に加工して再輸出するから正貨(外貨)問題ないが、砂糖は全部が国内消費されるもので,正貨流出の最大の問題となっていた。当時は富国強兵のため海外から輸入する物資の資金が不足していた。
 鈴木藤三郎伝より
1883年(明治16年)には静岡県森町の鈴木藤三郎が現在の氷砂糖のもととなった氷砂糖製造法を確立しました。この製法で作られた氷砂糖は氷のようにきれいな結晶であり、従来品と比較して良質な甘さと安い価格が評判になりました。その後精製糖(白砂糖)の生産へと進み、1890年(明治23年)以降には東京・小名木川に日本製糖株式会社の設立、更には台湾製糖株式会社を設立し、近代日本の砂糖産業に多大な貢献をした。
 『砂糖の消費量は一国の文化のバロメーター』といわれ、明治元年には砂糖の輸入額は87万円だったものが10年後には278万円となり20年目には571万円、明治31年には2837万円の輸入額となっていて我が国第二の輸入額となっていました。富国強兵を目指す明治政府は外貨を浪費する砂糖消費を抑える必要があったが幕末の不平等条約によって関税の自主権が無く、砂糖の輸入を抑えることが出来ず、かえって安価な輸入砂糖によって国内の砂糖生産地を衰退さてしまった。
 砂糖の国産化は外貨浪費を防ぐため、国の産業育成の方針となっていた。明治25年には鈴木精糖所の氷砂糖は中国産の輸入を抑えたくらい品質が向上した。そして日清戦争のあと、台湾が日本領土となり台湾精糖の強化が国の方針となった。
 明治中頃から砂糖の価格は江戸時代よりはるかに安価になったから漬物にも使用されまでなり、福神漬となったのである
また日清戦争までは砂糖の貿易は中国人経由ほうが多かったが日清戦役後は日本人の貿易商の時代となった。日清戦争後の好景気は明治の産業革命となった。
 日清戦争後、砂糖の生産地と知られていた台湾が日本領土となり、この地の原料糖の生産を発達させれば輸入糖を精製していた日本の精糖業は自給自足の望みが出た。更に中国に輸出する可能性も出てきた。
 明治政府の井上馨と三井物産は台湾に精糖会社を作ることになり、鈴木藤三郎が社長となった。
 井上馨の当時の考え方。
およそ人間の生活が向上するに従って消費は増えるものであるが中でも飲食物の中で砂糖のごときは一ヵ年の消費額が3000万円にものぼりその内2000万円も外国から輸入されたものである。輸入が輸出を超えており決済にあてる日本銀行の兌換紙幣が危険となる。従って正金=金貨を海外に流失を防ぐには内地の精糖業を振興し、輸入を減少させることである。

新渡戸稲造
台湾糖業意見書が明治35年に新渡戸稲造によって出されます。日本の領土となった台湾は砂糖をつくることによって農業をいかしてゆくべきだというのが新渡戸の意見書だった。その方針に従って台湾総督府は台湾で砂糖きび栽培をどんどんすすめてゆきました。

1 品種の改良 在来種より生産性の高い品種に変更する。
2 ショ糖の栽培方法の改良。
3 灌漑を行なう。
4 水利の不便な田畑を砂糖栽培に転換する。
5 精製糖での技術改良を計る。
6 日本に入る輸入外国糖に関税を引き上げにより。砂糖産業育成の税制。
7 交通路の整備及び輸送費の補助政策。
8 砂糖販売網の拡充。
9 ショ糖の公定価格の安定。
10 糖業教育の充実。
11 産業組合の整備。(今の農業協同組合のような組織)
12 出版物による糖業の啓蒙。
13 甘蔗保険の充実。
14 副産物の奨励(アルコールの製造)
新渡戸稲造によって台湾農業振興政策が列挙されている。台湾糖業は明治政府の保護育成が必要だと説いた。
新渡戸稲造全集第4巻より

昭和3~4年ごろの記録によると、台湾の生産額は世界の砂糖生産におい第2位になりました。第1位はハワイでしたが、2位というところまで台湾の糖業がのびたのです。その結果、昭和はじめには日本は砂糖では自給自足となりました。
1901(明治34)年1月、政府は、衆議院に北清事変費・建艦費補充などのための増税諸法案(砂糖消費税法・麦酒税法・酒税法)を提出しました。
人工甘味質取締規則(明治34年内務省令第31号)サッカリンの販売用飲食物への使用禁止。鈴木藤三郎は砂糖消費拡大のため政府にサッカリン使用禁止運動をし、また砂糖消費税の税収確保のためにサッカリンを禁止したといわれる。

鈴木藤三郎が日本精糖の社長を解任された後、日本精糖の新経営者は無謀な積極策を取り、精糖所の買収・砂糖関税改正・精糖官営をたくらんで代議士20数名の買収をおこない、日糖事件を起こした。
 
砂糖は世界商品で、江戸時代でも茶道の普及で砂糖の輸入がふえ銀貨の国外流出が激しかったため、国産化を進めたこともあった。
 
 明治半ば以後砂糖の価格の低下で漬物に使用できるような環境になった。醤油と砂糖の価格の低下が福神漬の普及に必要となる。

コメント
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