年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

花香恭次郎の死

2009年10月05日 | 福神漬
明治23年8月9日読売新聞
花香恭次郎氏死す
一昨日以来コレラ病に罹りし大同倶楽部員花香恭次郎氏は一昨7日突然亡くなった。同氏は永く民間の有志と交わり人望があった。ことに大同倶楽部創立以来、終始一日のごとく大いに尽力していた。
 以って昨日の常議員会にて井上角次郎氏が起って、同氏のため氏が今まで尽力した功績と追悼の意を述べようということに一同これを賛成し、同会の名義にて同氏の遺骸に弔詞を送ることに決めた。また同氏の遺骸は河野広中氏宅(麻布区材木町48番地)より出棺し、谷中天王寺墓地にある同氏の故友田母野秀顕氏の墓の隣に葬ることとなった。ただし出棺の日時は決まっていないという。

 花香の死去後、政治団体大同倶楽部はまもなく解散した。墓誌は河野広中の書である。花香は鶯亭金升にどの様な影響を与えていたのだろうか。戊辰戦争、上野戦争、自由民権運動、そして日露戦争へ福神漬の捜索が続く。そして三菱・日本郵船との関係がどこでつながりカレーライスに福神漬が付きものになったのだろうか。

大同団結という言葉は明治の大同倶楽部から始まったという。
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