新撰組隊士 中島登(なかじまのぼる)
都営浅草線高輪台付近にある日蓮衆本立寺に福神漬のキーマンである鶯亭金升さんの墓地捜しに伺ったところ、住職の曽祖父が新鮮組隊士で土方歳三と函館弁天台場で戦い,降伏したという。新撰組に入ったのが鳥羽伏見の戦い以後なので殆ど負け戦であったという。
ネットで調べると住職の先祖は中島登(なかじまのぼる)で静岡県浜松に墓があるという。予備知識もない突然の訪問なので詳しく尋ねる事もなく帰る事となった。福神漬の調査には色々な所に訪問するが現地に行って初めて解る事が多い。花香恭次郎を調べるために関係ないと思いつつ、場所と時代が近いので大原幽学記念館を訪問したら、下谷根岸に明治になって、大原幽学の思想を実践する道場があった。八石教会という。
鶯亭金升の曽祖父がぺりー来航時アメリカ国書を受け取り、黒船に一番乗りして浦賀与力の中島三郎助が函館千代台陣屋で戦死したがそこに新撰組隊士だった中島登が土方と共にいた。偶然なのだろうか。鶯亭の長井家は明治30年代に新宿から荏原郡の寺であった本立寺に墓を移した。(出典鶯亭金升日記)この墓の移転の事情は住職の話によると都心にある墓を郊外に移す政策があったと言う。永井家は偶然本立寺を選んだと思われる。
都営浅草線高輪台付近にある日蓮衆本立寺に福神漬のキーマンである鶯亭金升さんの墓地捜しに伺ったところ、住職の曽祖父が新鮮組隊士で土方歳三と函館弁天台場で戦い,降伏したという。新撰組に入ったのが鳥羽伏見の戦い以後なので殆ど負け戦であったという。
ネットで調べると住職の先祖は中島登(なかじまのぼる)で静岡県浜松に墓があるという。予備知識もない突然の訪問なので詳しく尋ねる事もなく帰る事となった。福神漬の調査には色々な所に訪問するが現地に行って初めて解る事が多い。花香恭次郎を調べるために関係ないと思いつつ、場所と時代が近いので大原幽学記念館を訪問したら、下谷根岸に明治になって、大原幽学の思想を実践する道場があった。八石教会という。
鶯亭金升の曽祖父がぺりー来航時アメリカ国書を受け取り、黒船に一番乗りして浦賀与力の中島三郎助が函館千代台陣屋で戦死したがそこに新撰組隊士だった中島登が土方と共にいた。偶然なのだろうか。鶯亭の長井家は明治30年代に新宿から荏原郡の寺であった本立寺に墓を移した。(出典鶯亭金升日記)この墓の移転の事情は住職の話によると都心にある墓を郊外に移す政策があったと言う。永井家は偶然本立寺を選んだと思われる。