年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

万歳村と南茅場町との関係は

2013年02月12日 | 福神漬
江戸時代干潟八万石といわれた千葉干潟の万歳村は2838石4斗5升1合あり寄場村で改革組合村の中心でした。大惣代の役を引き受けていました。万歳の二人の大惣代のうち一人は花香家でした。花香家の収入は218石でした。(干潟町史)万歳村は安中藩と旗本?との相給の村でした。
 明治になって花香恭法が銚子の百四十二銀行を設立します。(干潟町史は百四十四銀行となっている)花香家の明治の本業は醤油醸造業と関係があったのだろうか。江戸南茅場町は町奉行与力の住まいでもあったが新川付近にあった酒問屋とも近かった。今でも茅場町には多くの証券会社と共に食品関係の会社が多い。
銀行協会の資料によると百四十二銀行(明治12年から14年)まであったが三十二国立銀行に吸収されたようだ。最終的には今の三井住友銀行となるのだが、銚子付近には三井住友銀行の支店はない。
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