旭市にあった安中藩太田陣屋は東総地域の関東取締出役の中心となっていました。万歳村は安中藩領で名主だった花香家は治安情報の入手が早いと想像できます。関流和算家内田弥太郎の紹介で千葉万歳に来た高野長英がすぐに去ったのは大原幽学への捜査から長くいることが出来ないと知ったからと想像できます。
高野長英が江戸町奉行所役人に惨殺されたのが嘉永3年10月末のことですぐに高野の逃亡を助けた疑いで内田弥太郎に目が行きました。内田は何とか切り抜けましたがこの影には当時浦賀奉行だった戸田氏栄の力があったと思われます。戸田は下曽根金三郎、内田弥太郎の力を借りて、嘉永2年から浦賀の防衛力を強化していた時期でした。
内田が戸田氏栄にたいして恩義を感じ、氏栄5男の鉄丸を養子先として花香家を世話したと思われます。