年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

戸田主膳殺人事件1

2013年02月25日 | 福神漬

昌平坂学問所記録解題という本がある。編纂者の中に戸田氏徳という人がいる。この人は後の浦賀奉行戸田伊豆守氏栄と同一人物であるという文献を見て調べることにした。
 確かに氏徳と一緒に大草公明の名前が出てくる。戸田氏栄が編纂者となっている『干城録』にも大草公明の名前が出てくる。昌平坂学問所で共同編纂者が共通で氏徳と氏栄だけが異なっているものが多い。どこかの時点で戸田卓太郎氏徳から戸田寛十郎氏栄と改名したと思うのが自然だろう。昌平坂学問所記録解題は氏徳の名前で出てくるが文化9年から文政11年(1828)の編纂事業である。干城録は文政10年から天保6年(1839)の編纂で戸田氏栄となっている。朝野旧聞裒藁は文政2年から天保13年(1842)の編纂で氏栄が編纂者の一員となっている。

 天保7年7月21日明け七つ、戸田氏栄の父戸田主膳が侵入してきた賊と戦い死去した。この時の暦は今の天保暦(天保15年1月1日より施行)ではなく,寛政暦であった。西暦に換算すると1836年9月1日に当たる。9月1日の東京は日の出が5時13分頃である。明けの7ツ半の明るさはどの程度だったのだろうか調べると午前3時頃となる。
 当主が死去して改名したと考えたが、時期が合わず、厄介な問題だ。
コメント
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