年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

飯岡町史から

2013年02月15日 | 福神漬
飯岡町史945ページ(昭和56年3月刊行)
江戸期~明治22年の村名。下総国海上郡のうち。はじめ幕府領,当村は東縄・西縄に分かれ,東縄は寛永19年から旗本長井氏領,西縄は享保8年から与力給知。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに268石余。浜は江戸初期より関西漁師が進出して鰯漁が盛んになる。また,高級魚の江戸出荷地でもあった。いわし漁は魚肥のためで、木綿栽培の発展に必要であった。

九十九里海岸は東の果ては行部岬(飯岡町)で西の果ては大東岬である。太東岬の飯縄寺は河村瑞賢(江戸時代に日本海路網を作った)と関係があるようで一度参拝に行きたい。波の伊八の欄間をみて葛飾北斎『富岳八景 神奈川沖』との差を見に行こうと思う。福神漬によってまた行きたい所が増えた
旗本長井氏領は幕末の長井昌言の領地で、気になる与力給地は南町奉行与力の知行地だったかはまだわからない。
コメント
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