明治9年の財政改革の一環で金録公債を資本金とし銀行を設立するすることを可能とした銀行条例が出来た。この条例で153の国立銀行が誕生した。明治8年5月に今の千葉県が成立したのだがナンバー銀行が4銀行できた。銚子(百四十二)、八街、千葉(九十八)、八幡が本店所在地であった。千葉にあった第九十八国立銀行は明治30年に九十八銀行となり,改名して今の千葉銀行となっている。この千葉銀行の社史に第百四十二国立銀行のことが書いてあった。
千葉銀行史54ページ
干潟八万石の資産家で酒造家の花香恭法が店舗として第百四十二国立銀行の銚子を本店とし、小見川、東京に出張所を有す。当時の銚子は東北から江戸への回送された米の中継地として繁盛していて、米蔵や船宿が軒を連ねていた。明治7年ころの銚子の人口は1万7千人程で千葉県では最大の市であった。船橋は9千5百人、千葉は3千人、関宿は4千8百人、佐原は6千4百人だった。
士族の授産を目的とした銀行は間もなく破綻した例が多く、百四十二銀行も二年ほどで経営不振となり他の銀行と統合され消えた。
千葉銀行史によると花香は酒造業となっていて、東京の出張所が南茅場町付近にあっても不思議ではない。