年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

戸田主膳殺人事件2

2013年02月26日 | 福神漬

戸田伊豆守氏栄の祖父第68代長崎奉行戸田主膳氏孟がいる。長崎奉行の任期途中で死去したようで墓も長崎大音寺にあるようだ。(在任期間1784-1786)
 戸田氏栄は1795年頃に生まれているので直接会ったことはないようだ。氏栄の天保12年(1841)以前の経歴が書かれていないことが多いことが福神漬の資料調査でなんとなく気になっていた。つまり氏栄の40代半ばまでの経歴が不明なのである。平均寿命が今より短い時代に急に日本史に出てきた背景について歴史書に何も納得のいく本が見当たらない。その理由としてペリー来航時に米国国書を受け取っただけで、一言も話すこともなく終わり、その後のペリーが再来航したとき、応接の場から外され、日本史の記述もなくなった。200年以上続いた江戸幕府の外交政策を変更するきっかけを平和裏に処理した功績があるのに、攘夷などの幕末の混乱から彼に対する評価は今でも低いように思える。異国船の武力評価がない状態で武力衝突がなかったことは実に幸運であった。
 戸田主膳氏徳から戸田寛十郎氏栄へ改名したことは何か関連があったのだろうか。天保7年の氏栄の父御書院番戸田主膳氏友の殺人事件は何を意味するのだろうか。
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