江戸時代の始めのころ、千葉の東総地方に椿海という比較的大きな湖がありました。コメの増産のため干拓が計画されましたが水害被害を懸念する農民で反対が起こり何度か失敗となりました。しかし1670年鉄牛和尚などの尽力で椿海の水を排水する新川が完成しました。しかしその排水が洪水を招き大きな被害を下流農村に与えました。元干潟町万歳村は干潟八万石の中にあり、椿海からできた村です。
村のできた経緯から、今は旭市となっていますが万歳の人たちはどちらかと言えば香取の方に気持ちは動いているのではないのでしょうか。椿海の下流の農村は干拓によって、水害干害の影響が大きくなり、結局解決したのは利根川の塩害を防止する堰(1971年)ができるまでかかりました。天保水滸伝の勢力富五郎は万歳村の出身です。明治維新後、万歳の花香恭法は銚子の銀行家となっています。この辺の心情は現地の人に聞かないと解らない部分です。