年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

嘉永2年の小金原の鹿狩り

2014年03月14日 | 宅老のグチ
古くから牧(まき)として知られていた下総国小金原(しもうさのくにこがねはら)(現松戸市)で、江戸時代に4回(享保2回、寛政1回、嘉永1回)、将軍による鹿狩りが行われた。この時の史料が東千葉県の都市に多く残っている。かなりの人民が動員されたようだ
東房総の博徒勢力富五郎の取り締まりも(しし狩りの)時期だった。民衆に深く関係したため関東取締出役の力ではなかなか捕まえることは出来なかったがしし狩りの組織を利用して勢力を自害に追い込んだ。
最近中国でも同じようなことが行われたようだ。覚せい剤の取締りとか売春の取締りが見過ごされていた地域を国の政策を明確にし、庶民の不満をそらす意図を隠して行動したようだ。日本では博徒勢力富五郎一派の死後、房総地方を興業していた講談師が勢力らの事件を知り『天保水滸伝』という話をつくり、政府(幕府)のありざまを批判していたようだ。利用するときは利用し、不都合な存在になったら切り捨てることの結果はどうなるのだろうか。日本の歴史では各地に不満のやからが展開していった結果となっている。世の中が乱れるとき根本を正さず、対処法だけで対応するときさらに乱れか各地に展開し、治安状況が悪くなってゆく。関東取締役出役の下級役人として目明し(道案内)が主要な町村毎に任命され 幕末にかけてどんどん増えていったようだ。
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