年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

郷土資料室で

2014年03月17日 | 宅老のグチ
勝鬨橋をあげる会のパンフを中央区の郷土資料室で見た。戦前の東京オリンピック計画の中で湾岸地域に施設が建設する計画の内容をみた。東京都庁舎が晴海に作られ、万博計画もあって戦前の人が何を国威高揚としていたか初めて知った。2020年の東京オリンピック施設が重なるのは不思議である。
 平野富二(石川島造船所(現IHI)創立者)の伝記を読んでいたら明治17年頃から隅田川の浚渫を行ったようだ。この浚渫した土で月島・勝どきの土地が生まれた。江戸時代の人足寄場の跡地に明治になって犯罪者や未決囚を収容する石川島監獄があった。明治28年巣鴨に新たな監獄が出来るまで石川島監獄があった。明治17年の脱獄が隅田川の浚渫を急がしたように思える。もし隅田川の浚渫がなければ水深の浅い隅田川河口での大型船の造船業はいずれ移転をしなければならないし、勝どき橋のような開閉できる橋を創る必要性はなかったと思われる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする