年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

鉾田市図書館にて

2018年04月19日 | 福神漬

鉾田市鳥栖の無量寿寺に何かがある気がしていってきました。明治の7年頃だと思うが花香恭次郎が親族の勧めで鳥栖村にいったと親族に伝わっていた。そこで馴染めずまた東京に戻りどの様な伝手があったのだろうか今の銀座8丁目にあたる南金六町の公益問答新聞社に勤めた。

 花香家の子孫でも鳥栖村行きは自信が無いようで花香の研究者も息栖ではないかと鳥栖村行きは否定していた。息栖村には無量寿寺という寺院があった。この寺院の住職は蛮社の獄の事件で投獄されていた。花香家は蛮社の獄に関係していて誤って無量寿寺のことと花香恭次郎の鳥栖村行きが同じく今の鉾田市安塚行きと混同していたのだろうか。江戸時代末期に鳥栖村は坪内主馬で安塚村は長井五郎右衛門となっている。(鉾田の文化8号)

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