年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

清親考から2

2018年04月17日 | 福神漬

小林清親の娘(五女哥津)の小文(清親考)で日露戦争後小林のところに近所(浅草山の宿52番地)に住んでいた老人が訪れた。漏れ聞いた話から福島事件の被告人の一人だという。哥津は花香恭次郎と書いているが花香は明治23年にコレラで死去している。さらに田母野秀顕は石川島の未決犯収容所で死去している。福島事件の浮世絵で神田須田町にて原胤昭が無料配布したものは3枚で残りは平島松尾となる。

 ただ哥津さんの文で原胤昭の花香恭次郎への添え書きは次のように書いてあった。

『君は東京深川伊勢崎町の士族花香恭法の次男にて、自由の説を主張、福島にあって河野君等と共に縛につき、福島警察にて数日間靴を持って衝き倒される等の苛きめに逢い、東京に護送され、高等法院の裁庭に活々発の雄弁に無罪の状を陳述られたれども有罪逸れがたく、軽禁錮六年。齢二十六歳』

 一般に花香恭次郎の経歴はこの程度しか知られていない。後は平島松尾へ書いた原の添え書きが知りたい。

コメント
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