8月に入って77年目の夏の季節となる。昨年だったが巨大な台風が日本本土付近に来た。なぜ巨大だったかを気象予報士さんが日本付近の海水温が高く発達するという。二つの巨大台風が来たののちの解説で海水温が急に下がったのは台風で海の下層にある低温の海水が混ざって下がったという。子供の頃のなぞなぞで(上は大水下は大火事これはなーんだ。というのがあった。正解は五右衛門風呂で風呂をかき混ぜないとうっかり熱いので入ると下の方はまだ冷たかった経験を思い出した。気象研究所の所でも)台風自身の強い風は海洋表層をかき混ぜる(混合)ことにより、海洋表層の水温を低下させるのです。この2つの効果は台風の直下で起こり、台風直下の海面水温の低下を通じて、台風の発達に影響を与えます。)となっている。
泥水が落ち着くと透明な水になる。戦後77年世界は紛争が絶えまなかったが日本はテロだけで落ち着いて時間が過ぎた。これは先の戦争で日本が暴走すると東アジアの国が恐れていたかもしれない。20年ほど前に子供が鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館 を5月20日に訪問した。その日は偶然叔父の特攻した命日でそれから遺族扱いになった。確かに3親等だけど苗字が変わっているので遺族ではないと思っていたしそれに親族から飛行機関係で戦死したと聞かされていた。それから叔父の個人史を調べると時代というか大正の震災前後に生まれ昭和の戦時経済でいい時が全くなかった気がする。バブル崩壊後の失われた30年と同じ思いがある。明治維新から77年で敗戦となり今年は敗戦から77年の夏となりウクライナからまた日本も戦争する・出来る国になる年に変化するかもしれない。
叔父のことを調べると何か不都合なことが隠されていたことに気が付いた。親族から過去をほじくり出し何の得があるという人も出てきた。時には英霊として称賛され戦後は無駄死にと言われていたことが記録に残っている。米軍に多大な戦果を挙げたため叔父の生家付近に進駐した米軍を見て証拠隠滅のため記録と記憶を消したと思いたい。戦後77年経つと戦地に向かう叔父が生家上空を超低空飛行して実母と別れの挨拶をした話も近所では消えてしまった。叔父たちの特攻で死去した米軍兵士にも遺族会とか戦友会があって日本から活動状況が解かるが戦後50年過ぎると活動が止まったようだ。日本も77年という時間で記憶が薄れていることを知るが消され叔父の記録を残せという魂があるように思える。叔父の特攻前のひと月を知っている人に2022年6月にあった。次に会った時に当時の詳細を聞きたいと思う。91歳という年齢ではいつ証言と記憶が消えるか判らない。
波風を起こして親族の不興を買うかもしれないが記録を残し歴史の審判を待った方が良いと今は思う。今知った限りでは本人は特攻を志願したのでなく志願させられた。時代ということと視力が1.5もあったため当時として飛行士としての適性があった。今でも20歳で視力が1.5ある人は少ないと思える。なぜこのようなことが知っているかというと消された叔父の記録も調べれば消していない公文書が残っていた。埼玉師範学校の成績表が今の埼玉大学教育学部のロッカ-に保存されていた。個人情報ということで親族が調べないと永遠に消された記憶で残っていただろう。波風を立て一時的に騒動となっても時間が経てばまた落ち着く。