年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

全国農業協同組合中央会代表理事会長=中家徹(和歌山県中代表理事会長)の再選で

2022年08月13日 | 宅老のグチ
平成の市町村統合で全国でも稀なことがあった。
2004年(平成16年)10月1日 -和歌山県 日高郡南部町・南部川村が新設合併し、みなべ町が発足した。そしてみなべ町の初代町長山田五良さん
(南部川村の村長)が就任した。普通なら南部町長が就任するのだが梅干し振興で実績のある南部川村長が選ばれた。それほど和歌山県は梅関連産業が重要視されていて東京では想像もできない。
 全農会長の再選記事を読んでいたらJA紀南(紀南農業協同組合)出身だった。紀南農業協同組合は梅干し加工販売も手掛けていて通信販売もしている。昔と言ってもまだ記憶があるが梅農家が梅産地の業者会合を公取委に訴えたことがあった。農家からの生梅の購入価格の話し合い会合を訴えた。この会合には紀南農業協同組合の人も参加していたと思われる。当時の自分の感想は業者の価格談合は強制力がなく、梅干し業者が農家の梅干しの選別状況で価格が決まるということを東京で聞いていた。
 梅の価格も青果市場に出すものと漬物業者に出すものと自家で梅干し加工するところもあり、品質選別は経験がないとできない。無地の10Kポリ樽には8K程の梅干しが入っていて塩分が20%から25%あって相場が上がるのを待っている農家もあった。

 ある年の2月にみなべ町で梅まつりがあった。その時にみなべ町長の山田五良さんが挨拶で東京の梅販売の業者の名前を出し、行政と産地加工業者と東京の協力でここまで来たと挨拶していた。この時には和歌山県知事、野党時代の二階氏らの議員も来ていた。
山田五良さんは2021年8月29日に91歳で亡くなった。一度梅干し業界の発展史を聞きたかった。行政の地場産業育成の成功例だった。今でも全国の漬物組合の業者数は和歌山県が多い。人口1000万人を超す東京は今では100以下の組合員となってしまった。
 一時転居で公取委に訴えた事件の決着を書いたニュ-スのファイルが見当たらず、詳しく書けないが今でも梅価格の談合というか腹の探り合いが続いている。今から思うと誰かが南高梅の苗木を中国に持ち出し、日本とそん色のない梅干しが出来てから国内の梅農家の不満が貯まった気がする。この辺の分析は地元の新聞紀伊民報の人たちが書かねばならないが、紀伊半島の突端で温泉しかなく、安定している梅産業が地域として巨大で誰も書くことは出来なかった気がする。仮に梅干し在庫があっても資産なのか不良在庫の売れ残りでゴミ扱いなのかだれも解からない。新聞記事で見たが100年以上の梅干しを売り物にしている業者がある。
  
コメント
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