年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

叔父に会うため靖国神社遊就館へゆく

2023年02月05日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
4日 数年前から財布の中に入っていてボロボロとなっていた靖国神社遊就館の無料入場券を使った。叔父の所属していた陸軍第8航空師団204飛行隊の仲間たちは、戦後の戦友会の開催地として靖国神社で2月4日に会っていた様だ。すでにこの会合が無くなり、靖国神社の団体集結の場所は閑散としている。もう78年の年月は大方の人たちが100歳か亡くなっていて歴史となりつつある。こんどのコロナは時間を10年ほど先に進めたようだ。
 靖国神社遊就館へは記憶では3回目の訪問だが前回の訪問時に気になっていた北白川宮の展示がほぼ消えていた。しばしば展示物の交換をしている様だ。この遊就館の説明文は日本の近代軍事史を戦前の日本の主張で説明していて、叔父がなぜ特攻隊員になってしまった負け戦の過程が解かる。それでも叔父は生きて農村工業を発展させたいと思っていたと思う。しかし時局はそれを許さなかった。
 亡くなった人の写真が1万人ほどあって、叔父の写真は61番目の所の目の高さにあって、見ている自分にまた来たかという目で見られた気がする。刻まれた文字より写真が若さというものを表現していて多くの若者が亡くなった。いずれ自分の持っている写真は消えるがここに保管されれば後世に残る気がする。
 靖国神社遊就館の隣にある戦友たちの会合施設を亡くなった兵士の写真を掲示する施設を増やせないのだろうか。生き残った遺族たちが保管して残されている兵士の写真が消えつつある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする