年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

高輪の物流博物館へ

2023年02月14日 | 宅老のグチ
 都営浅草線高輪台駅付近の物流博物館で1970年代の汐留駅の貨物の様子が解かる写真があった。コンテナとバラ積の荷物、プラットフォ―ムまで取りに行ったこともある。通勤でJR新橋駅で降りて、築地市場まで歩くのだが、汐留貨物駅のためかなり大回りで築地市場から15分以上かかった。
 日本通運が2005年旧秋葉原本社ビル(東京都千代田区外神田3-12-9)から汐留のビルに移った。ここは明治期の新橋停車場の跡地でもある。それから最近再び秋葉原の地に日本通運が本社を移転した。
 高輪の物流博物館は日通の歴史から始まっていて、日通の資料が多い。江戸時代の物流で規制のむなしさを感じる。日本では車が中国と違って発達しなかったので道路関係が遅れている。
 日通のマ-クは確か金毘羅詣での船に通とあって、それを会社のロゴにした様だ。ヤマト運輸はクロネコ、佐川急便は飛脚と多くの物流会社はロゴをもっている。
 国際物流はカタカナ語の世界で現場に行かないと理解しがたい。今はこの展示物が古すぎて、昭和以前の物流となっている。もうじきトラック運転手の労働規制が始まれば安価な物流で恩恵を受けていたところが困るだろう。あまりの長時間労働で追突事故が多すぎた。日本は人が亡くなってから法律が動く。
コメント
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