年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

226事件の日に渋谷で映画

2023年02月27日 | 宅老のグチ
226の日に渋谷へ映画を見に行った。東京大空襲の後日談の記録映画。もう78年前の出来事で記憶の伝言が薄れつつあるが、ウクライナの市民があの状況と同じとみえた。渋谷の映画館ではこの映画の前に上映していたのがウクライナのマウリポリの戦時下の記録映画だった。
 東京大空襲の日時は日本では3月10日となっているが文献では3月9日というものがあって、この映画でサイパンの米軍基地をB29が出発したのが3月9日で1500トンの焼夷弾を3月10日午前1時頃から下町に投下した。死者不明者10万人という。しかしこの数字は故人の名前の集合ではない。これを個人の名前にしようとする墨田区森下5丁目の人たちの活動記録でもある。彼らの努力で数百名の人たちの名前が刻まれた慰霊碑が森下の公園に残る。仮埋葬された錦糸公園の逸話も語られている。掘り返され今は震災戦災の記念公園に安置されている。
 64名ほどの映画館で40名ほどの観客。若い人が多いのはウクライナのことが昔のことでなく為政者の一言で明日は判らないし、対岸の火事でもない。ヨーロッパで核戦争が始まれば核の汚染のない食料確保で途上国が大混乱となる。当然のように人の移動も激しくなる。そこに新たな戦後が生まれる。

 映画を見た後渋谷の街を若者たちとぶつかりそうになりながらNHKの隣の宇田川町渋谷税務署の隅にある226の碑を見に行く。この日に亡くなったのは昭和の重臣たちだった。
 ハチ公の前で台湾からの人たちが記念写真を撮っていた。今は時間の進みが異常で時々昔に戻る感がある。
 備えよ常に。
 陸軍特別操縦1期生史という本が都立中央図書館に所蔵されている。始まりの文の最後に飛行士官の養成計画には敵に体当たりすることは想定していなかったという。今の戦争は戦地も前線もない。ウクライナでどこでも爆弾が飛んでくる。
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