押上のスカイツリ―駅から東武線に乗って春日部駅に向かった。471円。叔父の台湾出撃沖縄特攻の本を春日部市郷土資料館へ寄贈するために行った。駅を降りるときに出口を間違え、西口に降りてしまい、スマホで郷土資料館を検索し、向かう。踏切を探し出し、東武電車の線路を眺めていたら、X字にクロスする東武日光線と野田線が今でも平面で交差していることを知った。本数の少ない野田線は今でも春日部から埼玉県内は単線である。駅付近が再開発の工事が始まっていて、数年後には激変するだろう。日光線を優先するため、中々春日部駅から野田線の電車が出発できない理由が理解できた。
郷土資料館で快く受け入れてもらい、叔父の消えた記憶と記録の復活をお願いした。帰りに春日部市の町案内の人と雑談する。2月4日に春日部駅の東口が工事のため、新しい入り口がオ-プンしたという。駅入り口にはクレヨンしんちゃんの絵があった。東京向けの東武線の時刻表では中目黒と中央林間行きがあって、慣れないととんでもない所に行きそうだ。
春日部は昔は日光街道の粕壁宿で 賑わっていた。でも初めて駅から降りた。いつも日光線の通過を待っていた思い出が残る。
カスリーン台風 昭和22年(1947年) 9月14日~9月15日
利根川の堤防が決壊し、東京都内まで洪水が来たカスリ-ン台風の後、叔父たちの水田は長い間水没していて、国からの要請があった供出米が激減した。他の村よりはるかに少なかった。そのため埼玉新聞等を読んでいると、南桜井駅付近に駐留していた米軍の司令官が村人を集め、説諭していた報道があった。この影響がどうあったか判らないが叔父の親族が遺品を抹消した行為につながる気がする。
