年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ダイコン返し

2023年02月28日 | 宅老のグチ
いま戦後の闇市を調べているが闇市自体は先の戦争中にも存在していて、配給で不要なものとか沿線の親族からの食料の交換もあった。戦後まもなく始まったことではない。米軍の空襲を避けるため、駅の周辺は強制的に建物を壊し空き地を作った。その空き地に終戦後すぐに露店の店が出来た。この方法は縁日の縄張りの仕組みでテキ屋のなれた仕事だった。次第に落ち着くと警察とテキ屋との暗黙の協定による屋根の付いた店となった。
 主なタ―ミナルの商材は特色があって西武池袋線・東武東上線は都下の農家、埼玉の農家から闇物資、隠匿物資を運びこんでいた。やっかみの都民は川越のイモが江戸時代から有名であったので西武線の電車の色はウンコ色とかイモ色とかいっていた思い出す。今は練馬区がタクワンで郷土色を出そうとしているが沢庵も黄色い。しかし練馬大根は畑から出したときは真っ白で、今の青首大根は地面の下が白く、土の上に見えるところから緑色である。
 よく言われるのがダイコンを漬けた沢庵が黄色くなるのはなぜかという。
大根を塩漬として漬け込むと、徐々に黄色くなっていきます。 これは、大根の中に含まれる辛味成分が分解され、他の成分と結合して黄色を示す事が原因です。大根の辛み成分は「イソチオシアネート」です。大根をすりおろしたり切ることで生成されます。 部位によってイソチオシアネートの含有量が異なるため、辛みの感じ方も違ってきます。 根の先端に近づくほどイソチオシアネートの量は多く、その量は葉に近い部位の約10倍にもなります 。このイソチオシアネートには抗酸化、殺菌、発がん予防の効果がみられるという。

 タクワンを漬け込んだ経験のある人は知っていると思いますが白い大根が黄色くなってゆく過程はゆっくりと変化します。そこで戦前の軍隊納の練馬の漬物業者が軍からまだらに変色した沢庵にクレ-ムが入って、黄色い方が食欲が出ると言われ、カレ―に入っているウコン粉で染めました。その方が自然に黄色くなった沢庵より古くなったとき黒くなりにくいことで普及しました。戦後に入ってウコン粉が手に入らず、やむなく他の漬物に使用されていた黄色の人工着色料を使用するようになりました。今でも温度管理が良ければタクワン大根は白いままです。
 春の七草の中に入っているスズシロは大根のことです。また久米の仙人が天井から墜落したのが川で洗濯していた若い女性が衣服の裾を巻き上げていて、白いふとももに目を奪われ念力が消え落ちたという伝説があります。従って大根足というのは太いということより白いということです。昇りエスカレ-タ-で盗撮を誘発するのは大根足の誘惑です。

 2月も終わり春の陽光がまぶしい。来週から多摩川の桜の花見。

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