年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

226の日曜日 映画を見たい

2023年02月26日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
大方は二月にやりたい、したいことを終わってしまった。転居で家が狭いし、物価高で先行き不安もあって、交通費の掛かるところは排除し、シルバ-パスと歩行で用を済ます。今日は映画館の所で今上映中の映画を入場する気が無く眺めていた。さらに家に帰ってネット検索で見ると、昭和20年3月10日の映画があるようだ。見たい。この日に親族の家が燃え、行方不明者もあるようだが交流もなく詳細も解からない。
 3.10と3.11さらに1.17の日本の悲惨な日に自分の知り合いが亡くなっている。日本人の寿命の延びと映像等の進歩で思い出す記憶が伸びたようだ。しかし空白な時もあって、戦後の大混乱時に何が起きたか、記録と記憶の漏れがありそうだ。この時期は紙の質と量の不足で貴重書扱いで調べることに難儀している。その時期に生きていた人も75年経てばもう認知症と記憶の時期区分が不明で辻褄の合わない証言となることもある。
 そして今日は226事件の日で昨年だったが都立中央図書館へ行くとき麻布十番駅からの道の所の麻布賢崇寺に226事件の人たち22士の墓と慰霊碑があることを思い出し寺の中へ図書館の帰りに寄った。本堂の前に仏心会 の関係者以外はご遠慮下さいとあって、ネットで調べると慰霊の会合があるようだ。なぜ226事件が気になるかというと叔父の苗字が栗原ということで、そもそもこの寺院に墓があることは栗原安秀の父との縁があるようだ。
 戦後に226事件が陸軍統制派の台頭を許し、戦争に導いた原因と言われている。埼玉春日部市の栗原家は陸軍の栗原と交流が無く、叔父の経歴から無縁と思ったいたが、陸軍特別操縦1期生の試験で不合格となっていた。その後なぜか繰り上げ合格となり、埼玉師範学校で同時期の試験で陸軍と海軍の航空士官試験で両方合格していた人がいて、人気のある海軍へ行ったと思われる。(個人情報の関係で未確認・この人は特攻でなく戦死している)欠員の出た埼玉師範学校の陸軍から派遣されていた軍事教官の人に叔父が欠員補充で選抜されたと思われる。海軍に行ってしまい欠員させないメンツのため視力が良い事と栗原という苗字もあるかもしれない。埼玉県は熊谷で計画された救国埼玉青年挺身隊事件 も皇道派の拠点で栗原安秀も関与していた。埼玉師範学校の軍事教官はどんな理由でに欠員補充したのだろうか。納得がいかない。
 どうも栗原家の言い伝えでは陸軍特別操縦の試験に無断受験のように聞いている。同期生の同調圧力か又は試験に不合格になる計画があって、家族に心配かけないでいたかもしれない。出征時の記念写真の表情が招集令状が納得がいかないと言っているように思える。
コメント
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