年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

死んだ人の年を数える 江戸時代からあることわざ

2023年02月01日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
小さいころ、多分5歳から6歳ころ、江戸川の野田付近の父の実家に夏に一月ほど預けられた。今風に言うと宿題のない農村留学でひと夏を過ごした。今は当時の面影の藁ぶき屋根の農家が通勤圏となったため消えてしまった。東武鉄道野田線沿線で、最初の時は武州川辺駅と言って、次の駅は江戸川を渡った千葉県にあった。いまでも付近の江戸川の流れは速く、水戸街道国道6号線の橋から上流は野田市の野田橋と東武野田線しか昭和の20年代は川に橋が無かった記憶がある。いまは車が増えて渡る橋も増えたがそれ以上に東京と千葉の交通が増え今でも渋滞が続く。父の生まれた農家から出ると、後で知ったのだが古代からの住居地で高かったので、一面の水田風景が見え風が稲穂の揺れで見えていた。
 母に連れられ、国鉄時代の大宮駅で東武野田線に乗り換えた。JR大宮は新幹線の中心駅であるが当時は国鉄の上信越、東北方面の交通の要で大宮機関区があって蒸気機関車の音が乗り換え時に聞こえていた。そこから寂れた電車に乗ってゆくが春日部駅から先は単線となり、駅ですれ違いのため長時間停車していた記憶が残る。今でも武州川辺駅が移転した東武野田線南桜井駅は駅を出た途端に単線となっている様だ。千葉の方が最近は複線になっていて昔の寂れた風景が消えている。
 今年は関東大震災100周年ということで9月1日は震災の報道が多いと思う。二月になると鹿児島県南鹿児島市の知覧で5月3日の特攻慰霊祭の案内状が届く。東京の住民が鹿児島までの飛行機のチケットを取ろうとすると往復で10万円を越す。令和の初めに10連休というときに行ったのでもう二度とこの時期には知覧へ行けないと感じた。きむらけんさんの叔父の本が出て達成感があって、飛行機のチケットの安い時に数え年100歳になった叔父の集めた資料を記念館に入れたいと思う。確か叔父の資料は今まで何もなく写真しかないと言われている。大正13年生まれで、数え年なら100歳となる。もう叔父と言葉を交わし、語られる人も85歳を過ぎた。今の日本の統計上85歳を過ぎると認知症の人が急増する。2025年問題が過ぎれば2035年問題の本が出る。
 知覧での慰霊祭参加者名簿で特攻死した人がほとんど大正10年代からの人と気が付く。戦後の混乱期に優秀な親族の人が亡くなって苦労し、さらに犬死と言われた悔しさを感じる。もう78年だがまだ78年だ。今年も世界のどこかで理不尽な死がある。残された残った人はいつも生きていたらと思う。
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