昭和10年の刊行の明治屋食品辞典を2013年佐賀県唐津の古書店から購入した。送料込みで2200円。先の転居の時に危うく廃棄物扱いの物に家人から要求されたが、手帳位のサイズのため、廃棄の難を逃れた。
昨年暮れに東洋経済のネットで福神漬が取り上げられ、著者の本を借り出しで、出典を探るとどうやら高輪の味の素食の文化センタ-での取材があるようだ。
味の素食の文化センタ-の所蔵本はネットで検索できるので調べると戦後に何回か発行された明治屋食品辞典でも戦前の本は所蔵されていない。それで寄贈することにした。
福神漬は明治の10年代から上野公園の整備で観光客のために持ち帰ることのできる容器に入れて工夫された食品であった。そのため福神漬の基本的な考えに缶詰という言葉が無ければいけない。文献に言及している福神漬のライタ―も引用の本に缶詰という言葉が入っているにかかわらず無視している。
諸説ありますがと言ってバラエティー番組で説の根拠を逃れているが、酒悦の福神漬は今でも缶詰入りが販売されている。食品問屋の大手の国分も日本橋の自社店舗で最近まで缶詰入りの日本橋漬を販売していた。今は瓶詰入りとなっている。あまり売れていないが日本橋の御当地食品となっている。国分は江戸時代に大名との衣服取引から茨城県土浦市の醤油取引の縁が生まれ、利益の出ないので醤油取引に転向し、その過程で醤油の空きだる回送へ、ついでに食品流通へと向かった。日本橋漬というブランドは福神漬で商標登録で最古となる。大正元年である。酒悦は商標登録せず福神漬は普通名詞となり、いわゆるJAS法に福神漬の名称となった。
これらの経緯と戦前の福神漬等を文献から調べると、明治屋食品辞典が根拠のある文献となる。
1 索引の所で福神漬は フクジンズケとなっていて日本経済新聞の調査でフクシンツケと 濁らない福神漬は方言のようでもある。
どちらも好き勝手言いたい。
2 福神漬の缶詰入りは今でもポリ袋入りより高価だが明治の時代でも高価すぎて、今の物価に換算しても1缶2000円は優に越していて、贈答用・観光土産品だった。初期の軍隊納の福神漬は樽入りと思われる文献がある。
日清戦争終戦間際に大阪第四師団向けの福神漬献納の文献がある。献納者は大倉組で長い間福神漬を調べていて、公式文献で東京名産福神漬と出て来るの
が初めてだった。なぜ大阪の第四師団へと長い間不明だったが、明治28年に有栖川宮死去し、戊辰戦争で敵方になった輪王寺宮(北白川能久)を疎まれ閑職にいたのを、北白川宮の実兄の小松宮が弟に朝鮮半島での活躍の場を与えた。ちなみに上野動物園の正門前に小松宮の銅像がある。
つまり日本版死の商人と言われた大倉喜八郎は陸軍に活躍の場を与えられた北白川宮に福神漬を献納した意味が見える。(上野戦争で彰義隊と京都方の双方に武器を売り込んでいて、最終的に金払いの良い京都方に武器を売った。)従って江戸市民と明治の言論界を支配していた旧幕臣知識層に評判が悪かった。
3 明治屋食品辞典は国会図書館でマイクロフィッシュ化され見て印刷できる。しかし初めて購入した時、福神漬の項目が他の日本の漬物全ぺ-ジと同じくらいの項目でさらに独立していた。
この辞典の意図は明治屋内の店員教育用の本と企画され外部に販売されたようだが、昭和10年という時期と考慮しないといけないと感じる。福神漬の項目が大きいのは缶詰つまり軍需食品だったことを示している。
戦後に再発行された明治屋食品辞典は鬼畜米英の時代から米軍払い下げ食品で馴染んだ欧風の食品の項目が増えている。版が新しくなるたび食品の変化が解かる本となっている。