年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 明治38年10月

2006年08月16日 | べったら市
明治38年10月20日万朝報
昨日は例年のごとく、日本橋大伝馬町のべったら市が前日来の雨の中,晴れないために出店の商人たちの(出店の)意欲が欠け、空しく天を眺めてふさぎこんでいたが正午よりわずかに雨が小止みになったので地割りに着手し、小伝馬町、大伝馬町、通旅篭町、通油町、人形町通りに出店した諸商人の数は300軒余、また付近の商店は臨時の売り出しをしていた向きも少なくなかった。例の浅漬大根は大一本10銭より12銭、中一対7~8銭、小一対5~6銭、鉢菊は本年は雨天続きのため生育不良のため上等40~50銭、中等は20~25銭、下等は15~16銭, 掛鯛は大一対15~16銭より小5~6銭だったという。

明治38年10月20日二六新報
昨日の日本橋小伝馬町のべったら市は朝よりの雨にて出店商人は非常にふさぎこんでいたが昼頃より地割りに着手し日本橋署に於いては小伝馬町祖師堂に臨時派出所を設け、署長以下非番巡査も総出にて警戒し、また往来激しい電車路は巡査十名を配置し小伝馬町、大伝馬町、通旅篭町、田所町、通油町、人形町通りには出店した商人の数は300有余にして付近の商店は臨時の売り出しを成し、景気を添えていた。

日露戦争は明治38年9月に終わっていたが日露講和条約への不満が10月にはまだ続いていた。

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べったら市 明治37年10月②

2006年08月15日 | べったら市
明治37年10月19日万朝報
べったら市
明日の恵比寿講を当て込み、その必需品を売りさばく「べったら市」は例のごとく今日日本橋大伝馬町付近にて今朝諸商人が地割をして、それぞれ出店する準備を整えたが本年は戦争中(日露戦争)ゆえ恵比寿講を見合わす商家も多いだろう。従って、この市の不景気は確実だろうし、天気も雨模様と思われるので、或いは雨のため市が中止になるかも知れない。しかし大伝馬一丁目新道にある恵比寿神社にて本日は宵宮にて明日は祭礼を執行するはずである。この市の呼び物である浅漬は大根の出来が良いので本年の相場は昨年より二割安にて一本売りは小3~4銭より大7~8銭位なるべし、供え物の掛鯛は一対3~4銭より12~13銭、縁日菊はむかしこの市にて相場を決定する慣わしだったが今日ではすでに色々な市で菊を販売していたので相場も一定にならなく、販売見込みも本年は昨年より悪いと言う。

明治37年10月20日二六新報
天気模様の直ったため昨日のべったら市はなかなかの人出があった。人形町通り、通旅篭町、大伝馬町、小伝馬町、鉄炮町その他は昼頃から各商人は店を出したが日本橋署は小伝馬祖師堂に出張所を設け警戒し小伝馬・大伝馬通りの電車線路には会社より監視人数十名を出したと言う。
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べったら市 明治33年~35年二六新報

2006年08月15日 | べったら市
明治33年10月21日二六新聞
べったら市の景況
一昨日は好景気であったので午後5時頃より相応の人出があった。縁日商人は小伝馬上町、通油町、人形町通、植木屋は鉄炮町、小伝馬町1.・2・3丁目、宮師及び浅漬商人は通旅篭町、大伝馬1・2丁目に各店を出店していた。中でも浅漬は例年になく上景気で午後11時頃までには売れきれた様子である、上物は12銭より8銭位だったが又通旅篭町大丸にては見世へチリメンの竜宮の飾り物していたため,同店の前は大混雑していた。概して言えば近来に無い大当たりだった。

明治34年10月20日二六新聞
人形町のべったら市
いつ止むとも知れない、降り続く雨に風を加えた昨日のべったら市の出店商人はやや手控えたようであったが午前10時頃よりの晴れ模様となったので例年通り露店の飾りつけに取りかかったので日本橋署にては非番の巡査総出で警戒にあたったと言う。

明治35年10月20日二六新報
べったら市の景況
露店は例のごとく日本橋通油町、旅篭町、大伝馬1.2丁目から小伝馬3丁目のかけて押しなべて店を並べたが、今年は肝心の売物の大根が不作のため高値で売物が多くなく、買う人も少ないところに早稲田大学の提灯行列に人出がとられて、いっそう哀れな様子だった。

二六新報とは明治二六年一〇月二六日に創刊された日刊新聞である

早稲田大学とは創立20周年記念行事でこの年に早稲田大学と名称が変わる。20周年の提灯行列があったらしい。しかし早稲田大学の創立記念日は10月21日のはず。どうしてべったら市と提灯行列がぶつかるのか不明。ただ翌日の記事によると二六新報社の前に早稲田大学の提灯行列が通っていた。

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べったら市 明治36年10月③  

2006年08月14日 | べったら市
明治36年10月20日二六新報
べったら市の景況
昨日は初市の初めと言うべきべったら市なれば例により日本橋区人形町通り,通油町,旅篭町、大伝馬1・2丁目小伝馬3丁目付近は朝からの曇天にもかかわらず路上は非常な雑踏でことに大通りには巡査が鉄道馬車の線路を見張り手と手に提灯を持って線路を警戒していた。(商店の)小僧連は面白半分にして下げた大根をベッタラベッタラと着物に付けようとしたり付けられまいとしたり騒ぎまわっていた。さて商いも一段の好景気の由にて浅漬大根は三河島の上物小2銭位から大15銭位まで有ったが8銭内外が最も売れ行きがよかった。次に鉢菊は8銭から15銭位、飾り鯛は8銭から15銭位のところが売れ口が良かった。

三河島の上物とは産地名か。三河島菜は当時は有名で白菜がまだ無く漬け菜として広く食されていて、現在の荒川区三河島は近郷の野菜の産地であった。三河島大根もあって、汐入大根もあり、どのことを指すのか不明である。三河島大根はべったら用大根としては不向きのはずだが。

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べったら市 明治36年10月②

2006年08月13日 | べったら市
明治36年10月20日万朝報
恵比寿講
推古天皇の9年3月聖徳太子は初めて市を設けて商売を教えたという。このとき蛭子神にちなんで商売鎮守の神として信仰するというようになった。本朝通紀に記するところの商人の氏神として崇拝する恵比寿様の祭日は今日である。人々はあまり知らないけれどこの神様は日本橋区大伝馬町一丁目北新道に鎮座まします。境内の軒提灯・灯篭など掛け連ね神主がまじめな顔をして参拝者にお神酒などを出していたけれど何分商家にはこの神を祭る古風が衰えてゆき、更に恵比寿講の売り物である「セリ市」はホラ吹きのそしり草と心得る今日の世の中には参詣者も少なく景気の良いのはべったら市の浅漬屋のみが例外である。露天商100軒、昨朝の模様にては(人出の数は)やや控えたようであったが夕方より持ち直し、景気づき植木屋などは大伝馬町1~2丁目横町より小伝馬町通りに店を張り、いつもは荷車と馬車が通る雑風景きわまるこのあたりも黄菊・白菊・秋の色・武蔵野の昔を今に見る心地がする。夜に入って7時頃より人出がことのほか多く雑踏を極めていた。
 名物の浅漬は一対17~18銭より20銭、一本売りは7~8銭の相場にて売れ口は良い。菊は一杯12~13銭より25~26銭と極めて好景気である。商家にて恵比寿様に捧げる小鯛は1疋1銭2~3厘位、生鯛は相州物ばかりにて一貫目1円20銭位、尺鯛は1円50~60銭とのこと。

万朝報は明治36年10月12日、日露国交の危機に臨んで、非戦を固持する幸徳秋水、内村鑑三が退社。世論に押され日露非戦論から新聞の論調を開戦に変えた。明治32年には発行部数が一位となっていたのだがこれを機に次第に万朝報は衰微した。
長沢利明著 「東京の民間信仰」によると
「エビス講のセリ市」とは、そのあたりにある物を何でもセリに掛けて競売の真似事をし、「何千両!何万両!」と値をつけて騒いだ。法外な売値のことを「エビス講の商売じゃあるまいし」といい、川柳にも
  あてこともない値で売れる夷講
などとある。昔かたぎの大店では明治~大正期に至るまで行っていたと言う。


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べったら市 明治35年10月③

2006年08月12日 | べったら市
明治35年10月17日万朝報
べったら市
明後19日は例のべったら市なのだが本年は大根の不作だったので浅漬大根の相場は大15銭、小5~6銭位になるだろう。また縁日の菊も不作であったので甚だしく高価であるだろう。

日英同盟を結ぶ。 ロシアの極東進出の対抗策として。
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べったら市 明治33年10月

2006年08月11日 | べったら市
明治33年10月18日万朝報
べったら市の前景気
明19日は日本橋大伝馬町のべったら市であるが、この市の売物である浅漬大根は例の際物師が下総種(千葉産)の下等の大根を仕入れ漬け込み1樽100本につき70銭内外の原価なのに、コウジと塩の代金を30銭と見積もり、まず100本1円内外の原価となるが、べったら市の売価は1本5~6銭位に売れる見込みなれば利益も多いので今年は浅漬売りも非常に多いだろう。(原価は五分の一なのだから)。また掛鯛、宮師等の連中は原料高値のため売れ行きを気遣い、従って例年より減少するようである。縁日の菊もこの市にて相場の定まるのだが本年は上出来ゆえ値段も安くなるだろう。

明治33年10月20日万朝報
昨夜は予記のごとく、大伝馬町のべったら市にて日本橋署にては当番非番の巡査総出にて警戒をして、大通りを除くほか要所要所で車を止めたが(馬車・人力車)、べったら市の全体から見れば予想通り浅漬売りは7割を占め、その他植木屋の菊、宮師、棒屋、荒物屋等を主な物とし肝腎の掛鯛はヒョウタン新道の角に1軒あったのみである。見世物は本町4丁目と大伝馬町1丁目の新道に一団となって囃していて、通旅篭町の大丸は店頭に幸福細工と羽衣を飾り、同所梅花亭では例年通り切山椒の大売出しで景気をあおっていた。浅漬の相場は上等1本5~6銭下等2~3銭、掛鯛は上80銭より中50銭以下20銭位だった。その人出は近年には珍しき混雑にて夜9時10時ころには最も雑踏していて警官は制服巡査のみでも5間(1間はふつう6尺(約1.82メートル)の長さ・9m毎ということ)に一人の割合で警備し、角袖巡査もこの中に混じっていてスリも容易に近づけず、大伝馬町・小伝馬町の馬車鉄道線路には同会社の車掌・取締・人夫等を多数配置して通行人を保護していた。警察扱いの事故はなかったと言う。


角袖巡査とは、明治時代、当時、制服を着ず和服を着ていた刑事巡査のことを「角袖巡査(かくそでじゅんさ)」や「角袖(かくそで)」と呼んだ。
「角袖」とは四角い形をした袖のことで、和服の袖が四角いことから和服を意味する。この「角袖」を逆さまにし、初めと終わりだけ取ったのが、「デカ」である
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べったら市 明治32年10月

2006年08月10日 | べったら市
明治32年10月21日万朝報
べったら市と夷講
一昨日のべったら市の月の良かりしため夜に入って人出が多く区域内は車の通行を止めたため商品が一体に売れ口は悪く、その中で売物の浅漬大根は上等一本10銭内外・下等4~5銭、掛鯛は原料の小鯛が払底のため販売する人が少ない。生小鯛の台に載せてあるものが一個2銭より15銭の相場である。金華糖の鯛の売れ行きは良かったようだ。また菊花の相場は一鉢上等25銭・下等14~15銭にてこれは売れ行き良いようだ。また昨日は夷講当日にて商家は酒宴を開く例なれば本年は魚類の売れ行き悪くその相場は生鯛一尺物一尾90銭,さしみ物かつお一尾65銭より60銭メバチマグロ一貫目1円内外と言える。
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べったら市 明治30年10月

2006年08月09日 | べったら市
明治30年10月19日万朝報
べったら市
今夜は日本橋区大伝馬町通りのべったら市にて例年の通り店を出す宮屋、浅漬大根売り、花かんざし屋、植木屋、棒屋,掛鯛売り等何れも昨日より地割りをしたが、夷講に用いる供え物の掛鯛は魚市場の雇われ人等が毎年夏季に(売れ残りの)腐敗した小鯛を塩漬とした物を貯えておくものだったが本年は不良漁続きゆえ、例の腐敗した鯛がないので仕方がなく、生の小鯛を売り出すはずだという。べったら市につき日本橋警察署にては数名の刑事係り派遣して非常の混雑とスリを警戒し、また鉄道馬車会社にても係員を派遣して怪我なきよう注意するという。

棒屋とは農耕具の柄物や荷車の車輪等を作っていた(江戸時代)
明治20年頃から商人が「鳥打帽」をかぶり初め、「鳥打帽」は商人の象徴となりました。明治30年頃には「山高帽」が大流行し、帽子木型職人を「ぼうや=棒屋」と呼ぶのは木の棒を作る技術を転用したことが由来となっているというのです。
刑事係りとは角袖巡査(デカの呼称となった私服=和装の巡査)のこと
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べったら市 明治29年10月

2006年08月08日 | べったら市
明治29年10月21日万朝報
べったら市の喧嘩3組
一昨夜は大伝馬町のべったら市であったが、例年の通り掛鯛屋,浅漬大根、宮師、棒屋の露店のほかには植木、手遊び、花かんざしの店が多く出店し、本町4丁目より油橋までの往来は立錐の余地なきほどの混雑にて,浅漬大根は昨年より値が高く一本7銭より4銭位だったが夜11時頃にはしっかり売れ切れた好景気だった。しかるに同夜の喧嘩の売り買いもさかんと見えて掛鯛売りの日本橋区安針町の魚問屋の雇われ人xxは(19)京橋区松屋町のzz(17)が売場を汚したと立腹し立ち回りやった上,石にて顔に傷をつけた。日本橋区橘町の雇われ人xx(19)と同区zz(22)の両人は足を踏んだの踏まぬとの争い、頭を割った。また千葉県海上郡xx(27)は府下zz(23)と突き当たったとかどうかの争いから口論の果てに下駄で殴り合い互いに頭部に怪我を負った。何れも巡査のご厄介になったが昨朝までに示談してことが済んだ。
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べったら市 明治28年10月

2006年08月07日 | べったら市
明治28年10月19日万朝報
べったら市と浅漬売
日本橋区大伝馬町通りには例のべったら市にて、今日夜に入れば非常に雑踏を極めるがその商人の中で肝腎の呼び物となっている浅漬売りは大根相場が昨年に比して本年は二割方騰貴して何れの販売者も大弱りしていた。

日清戦争が終わっても朝鮮半島では混乱が続いていた。べったら市の記事は極めて少ない。

万朝報とは (よろずちょうほう)
1892年(明治25)創刊。東京の日刊新聞の名称。よろづ重宝という洒落をもじった題号。有名人の私生活・犯罪・恋愛などの記事を掲載し人々の関心をひく方針を採用している。いわゆる三面記事で発行部数を伸ばした。明治30年代には幸徳秋水・堺利彦・内村鑑三・円城寺天山・斯波貞吉らの人材を集め非戦の論陣をはったこともある。1940年(昭和15)東京毎夕新聞に合併。
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べったら市 明治27年10月

2006年08月06日 | べったら市
明治27年10月18日日本新聞
恵比寿神社例祭
来月(?)19・20日の両日は日本橋区瀬戸物町福徳神社境内内の恵比寿神社に於いて例祭を執行し、時節柄はあまり喧騒な余興を為さざる由,19日は例のべったら市に相当すればかなりの参詣人で賑わうべし。

11月なのだろうか?日清戦争が勃発していて、派手な祭りが出来なかっただろう。新聞紙上には戦争に対しての寄付金の欄がかなり占めていて、べったら市の記述がない。ただ広告欄には大丸呉服店のエビス切れ販売の案内広告がある。
福徳神社とは
日本橋区瀬戸物町
現中央区日本橋室町2丁目は瀬戸物町にあった。
「にんべん」などは伊勢商人を代表する鰹節問屋でありました。日本橋川沿いの地価は江戸で最も高い所といわれていた。この辺り瀬戸物町とよばれた町は、江戸時代文字通り瀬戸物商の店が非常に多かったようです。


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べったら市 大正15年10月②

2006年08月05日 | べったら市
大正15年10月18日読売新聞
そろそろ浅漬
19日は名物のべったら市
毎年10月中旬になると甘露漬のような甘い美味な大根の漬物が食卓に出されます。これが俗称べったら漬という浅漬で甘味がでるのはこの20日頃大根河岸に市が立ったものでこのころは毎年人形町辺りに出ることになった。今年は19日の晩に40~50軒は並ぶはず。買出しに出かける人は小売商や普通の家庭の主婦たちが、その問屋で飛び切り上等のものは出さないけれど、大根の質の良く味の点で優劣はあまりない。今年は大根の出来は普通だか今は値が張っている時で自然浅漬にも影響して下がるだろう。
今日の相場で飛び切り最上のタルが18円、下物が12円、19日の市の立つ頃になると大根の出来盛りに、需要も増えるので最上が16円、下が9円くらいになるだろう。そして11月・12月頃になると14円位に下がる見込み。
一タルに大根は80本から100本位まで入っている。一本15銭~20銭くらいで小売されるだろう。大根は主に練馬は主に、それから井草方面で最近では野方が一番だったが今は市街になってダメだ。

 関東大震災の前後辺りからべったら市の記事は市の前に出るようになった気がする。今の行楽地の案内のように。
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べったら市 大正14年10月

2006年08月04日 | べったら市
大正14年10月18日読売新聞
あさ漬が高い
買う人は注意
19日のべったら市
この19日は例年の通りべったら市で江戸っ子が御待ちかねの浅漬が売り出される。
 気候の加減で今年の大根の出来ばえが思わしくないので昨年百匁18銭であったものが本年は22銭から高いところで25銭にも売っている。浅漬は粗悪の種類が多く、コウジと砂糖で漬けるべきところサッカリンで間に合わせたり、かなり信用のある(漬物)問屋でさえ(粗悪な浅漬を)平気で売っている。サッカリンを使った物は味からチョッと苦味を帯びた上、甘すぎるきらいがあるから、素人でも注意すれば発見することが出来る。

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べったら市 大正13年10月②

2006年08月03日 | べったら市
大正13年10月18日読売新聞
べったら市は明日
19日は日本橋大伝馬町宝田恵比寿神社のべったら市だ。例の左甚五郎作の恵比寿像は地震(関東大震災)の火事を免れた。

恵比寿像は運慶作とも左甚五郎作とも伝えられています。信じていませんが。

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