年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 明治30年10月

2006年08月09日 | べったら市
明治30年10月19日万朝報
べったら市
今夜は日本橋区大伝馬町通りのべったら市にて例年の通り店を出す宮屋、浅漬大根売り、花かんざし屋、植木屋、棒屋,掛鯛売り等何れも昨日より地割りをしたが、夷講に用いる供え物の掛鯛は魚市場の雇われ人等が毎年夏季に(売れ残りの)腐敗した小鯛を塩漬とした物を貯えておくものだったが本年は不良漁続きゆえ、例の腐敗した鯛がないので仕方がなく、生の小鯛を売り出すはずだという。べったら市につき日本橋警察署にては数名の刑事係り派遣して非常の混雑とスリを警戒し、また鉄道馬車会社にても係員を派遣して怪我なきよう注意するという。

棒屋とは農耕具の柄物や荷車の車輪等を作っていた(江戸時代)
明治20年頃から商人が「鳥打帽」をかぶり初め、「鳥打帽」は商人の象徴となりました。明治30年頃には「山高帽」が大流行し、帽子木型職人を「ぼうや=棒屋」と呼ぶのは木の棒を作る技術を転用したことが由来となっているというのです。
刑事係りとは角袖巡査(デカの呼称となった私服=和装の巡査)のこと
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする