年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 明治36年10月②

2006年08月13日 | べったら市
明治36年10月20日万朝報
恵比寿講
推古天皇の9年3月聖徳太子は初めて市を設けて商売を教えたという。このとき蛭子神にちなんで商売鎮守の神として信仰するというようになった。本朝通紀に記するところの商人の氏神として崇拝する恵比寿様の祭日は今日である。人々はあまり知らないけれどこの神様は日本橋区大伝馬町一丁目北新道に鎮座まします。境内の軒提灯・灯篭など掛け連ね神主がまじめな顔をして参拝者にお神酒などを出していたけれど何分商家にはこの神を祭る古風が衰えてゆき、更に恵比寿講の売り物である「セリ市」はホラ吹きのそしり草と心得る今日の世の中には参詣者も少なく景気の良いのはべったら市の浅漬屋のみが例外である。露天商100軒、昨朝の模様にては(人出の数は)やや控えたようであったが夕方より持ち直し、景気づき植木屋などは大伝馬町1~2丁目横町より小伝馬町通りに店を張り、いつもは荷車と馬車が通る雑風景きわまるこのあたりも黄菊・白菊・秋の色・武蔵野の昔を今に見る心地がする。夜に入って7時頃より人出がことのほか多く雑踏を極めていた。
 名物の浅漬は一対17~18銭より20銭、一本売りは7~8銭の相場にて売れ口は良い。菊は一杯12~13銭より25~26銭と極めて好景気である。商家にて恵比寿様に捧げる小鯛は1疋1銭2~3厘位、生鯛は相州物ばかりにて一貫目1円20銭位、尺鯛は1円50~60銭とのこと。

万朝報は明治36年10月12日、日露国交の危機に臨んで、非戦を固持する幸徳秋水、内村鑑三が退社。世論に押され日露非戦論から新聞の論調を開戦に変えた。明治32年には発行部数が一位となっていたのだがこれを機に次第に万朝報は衰微した。
長沢利明著 「東京の民間信仰」によると
「エビス講のセリ市」とは、そのあたりにある物を何でもセリに掛けて競売の真似事をし、「何千両!何万両!」と値をつけて騒いだ。法外な売値のことを「エビス講の商売じゃあるまいし」といい、川柳にも
  あてこともない値で売れる夷講
などとある。昔かたぎの大店では明治~大正期に至るまで行っていたと言う。


コメント
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