明治44年10月20日読売新聞
昨夜のべったら市
昨夜のべったら市は近来珍しい雑踏であった。昨年まで淋しかった鞍掛橋から大伝馬町電車通りでもおびただしい人出で片側は鉢菊、盆栽、雑貨店、片側には場違いの浅漬店が数知れずべったらの臭いがみなぎって小伝馬町人形町通りも動きが取れぬほどの往来で市の本通りは宵闇の空を彩って通油町から本町通までの旧馬車通へはカンテラの炎がカカシのように提灯を打ち振る巡査を中央に左右に、若者たちが景気をつけてべったりと縄で結んだ浅漬を振り回し人込みを押し分け。女子供が逃げ惑う大丸付近は、小田原屋(漬物商)が青い鉢巻で「本場のべったら」とどなると、江戸名残の風情か気のきいた響きをたて。
名物大山椒梅花亭森田は7時頃にはすでに売り切れの札を掲げ例年のごとく群集に店を壊されぬよう組の消防夫が物々しく警戒し始めた。浅漬は昨年より大根が良くて安い2本で五銭位から20銭位までで羽根の生えたように売れる。お宮も三尺上物7円並物3円位尺二の1円前後の物が売れる。棒でも雑貨でも非常に良く売れる、大伝馬町にある宝田神社恵比寿神の九尺間口の祠には恵比寿・大黒の二神が祭られ供物がたくさんで参詣するのは島田・銀杏・丸髷・束髪を結いたてでみずみずしいのが七分で優しい手からお賽銭が授けられ金5銭のお札が晴れ着の胸に収められさてもそれを見てござる恵比寿神はうれしそうな。今年の年末の市の幕開きはこうして賑わって上々の景気だった。
旧馬車通とは現・大伝馬本町通り。大丸とは明治43年撤退した大丸呉服店のこと(現・大丸百貨店)。鞍掛橋(くらかけばし)とは小伝馬町から馬喰町の中間にあった龍閑川の運河に架かる橋の名。
昨夜のべったら市
昨夜のべったら市は近来珍しい雑踏であった。昨年まで淋しかった鞍掛橋から大伝馬町電車通りでもおびただしい人出で片側は鉢菊、盆栽、雑貨店、片側には場違いの浅漬店が数知れずべったらの臭いがみなぎって小伝馬町人形町通りも動きが取れぬほどの往来で市の本通りは宵闇の空を彩って通油町から本町通までの旧馬車通へはカンテラの炎がカカシのように提灯を打ち振る巡査を中央に左右に、若者たちが景気をつけてべったりと縄で結んだ浅漬を振り回し人込みを押し分け。女子供が逃げ惑う大丸付近は、小田原屋(漬物商)が青い鉢巻で「本場のべったら」とどなると、江戸名残の風情か気のきいた響きをたて。
名物大山椒梅花亭森田は7時頃にはすでに売り切れの札を掲げ例年のごとく群集に店を壊されぬよう組の消防夫が物々しく警戒し始めた。浅漬は昨年より大根が良くて安い2本で五銭位から20銭位までで羽根の生えたように売れる。お宮も三尺上物7円並物3円位尺二の1円前後の物が売れる。棒でも雑貨でも非常に良く売れる、大伝馬町にある宝田神社恵比寿神の九尺間口の祠には恵比寿・大黒の二神が祭られ供物がたくさんで参詣するのは島田・銀杏・丸髷・束髪を結いたてでみずみずしいのが七分で優しい手からお賽銭が授けられ金5銭のお札が晴れ着の胸に収められさてもそれを見てござる恵比寿神はうれしそうな。今年の年末の市の幕開きはこうして賑わって上々の景気だった。
旧馬車通とは現・大伝馬本町通り。大丸とは明治43年撤退した大丸呉服店のこと(現・大丸百貨店)。鞍掛橋(くらかけばし)とは小伝馬町から馬喰町の中間にあった龍閑川の運河に架かる橋の名。