年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 明治42年10月②

2006年08月01日 | べったら市
明治42年10月20日読売新聞
昨夜のべったら市はあいにくの雨に人出の少なきのみならず、露天商人はよもやに引かれながら(ひょっとしたら天気回復するのではないかと)商品を荷車に積んで来て場所をとったが、店を張ることが出来ず多くの商人はそのまま引き返し、雨に逆らって店を用意したのは八百屋の浅漬屋がようやく60軒位に過ぎず、値段は大下落の大5銭小3銭5厘という投売りだった。

今でも雨天時には傘を差しているため購買意欲がない。八百屋の浅漬屋とはどのような意味だろうか。専業の漬物屋でないので当時としては、べったら市以外は作った浅漬大根の販路がなかったと思われる。漬物は今と違って自家製が多く、明治時代に軍隊や学生及び労働者の寮が漬物業者の主な販売先であった。
八百屋の浅漬は販売先が乏しく急いで売らなければならなかった。
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