年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 明治37年10月②

2006年08月15日 | べったら市
明治37年10月19日万朝報
べったら市
明日の恵比寿講を当て込み、その必需品を売りさばく「べったら市」は例のごとく今日日本橋大伝馬町付近にて今朝諸商人が地割をして、それぞれ出店する準備を整えたが本年は戦争中(日露戦争)ゆえ恵比寿講を見合わす商家も多いだろう。従って、この市の不景気は確実だろうし、天気も雨模様と思われるので、或いは雨のため市が中止になるかも知れない。しかし大伝馬一丁目新道にある恵比寿神社にて本日は宵宮にて明日は祭礼を執行するはずである。この市の呼び物である浅漬は大根の出来が良いので本年の相場は昨年より二割安にて一本売りは小3~4銭より大7~8銭位なるべし、供え物の掛鯛は一対3~4銭より12~13銭、縁日菊はむかしこの市にて相場を決定する慣わしだったが今日ではすでに色々な市で菊を販売していたので相場も一定にならなく、販売見込みも本年は昨年より悪いと言う。

明治37年10月20日二六新報
天気模様の直ったため昨日のべったら市はなかなかの人出があった。人形町通り、通旅篭町、大伝馬町、小伝馬町、鉄炮町その他は昼頃から各商人は店を出したが日本橋署は小伝馬祖師堂に出張所を設け警戒し小伝馬・大伝馬通りの電車線路には会社より監視人数十名を出したと言う。
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べったら市 明治33年~35年二六新報

2006年08月15日 | べったら市
明治33年10月21日二六新聞
べったら市の景況
一昨日は好景気であったので午後5時頃より相応の人出があった。縁日商人は小伝馬上町、通油町、人形町通、植木屋は鉄炮町、小伝馬町1.・2・3丁目、宮師及び浅漬商人は通旅篭町、大伝馬1・2丁目に各店を出店していた。中でも浅漬は例年になく上景気で午後11時頃までには売れきれた様子である、上物は12銭より8銭位だったが又通旅篭町大丸にては見世へチリメンの竜宮の飾り物していたため,同店の前は大混雑していた。概して言えば近来に無い大当たりだった。

明治34年10月20日二六新聞
人形町のべったら市
いつ止むとも知れない、降り続く雨に風を加えた昨日のべったら市の出店商人はやや手控えたようであったが午前10時頃よりの晴れ模様となったので例年通り露店の飾りつけに取りかかったので日本橋署にては非番の巡査総出で警戒にあたったと言う。

明治35年10月20日二六新報
べったら市の景況
露店は例のごとく日本橋通油町、旅篭町、大伝馬1.2丁目から小伝馬3丁目のかけて押しなべて店を並べたが、今年は肝心の売物の大根が不作のため高値で売物が多くなく、買う人も少ないところに早稲田大学の提灯行列に人出がとられて、いっそう哀れな様子だった。

二六新報とは明治二六年一〇月二六日に創刊された日刊新聞である

早稲田大学とは創立20周年記念行事でこの年に早稲田大学と名称が変わる。20周年の提灯行列があったらしい。しかし早稲田大学の創立記念日は10月21日のはず。どうしてべったら市と提灯行列がぶつかるのか不明。ただ翌日の記事によると二六新報社の前に早稲田大学の提灯行列が通っていた。

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