明治のべったら市①
万朝報の記者であった若月 紫蘭の「東京年中行事」下巻には年後半の東京の行事が書かれています。
この文章を解説したいと思います。
べったら市(10月19日)
十月の十九日、日本橋通旅篭町、人形町、小伝馬町、通油町へかけて立つ浅漬大根の市にて、元来が明日の夷講のの支度の必要なる土製木製の恵比寿大黒,打出の小槌,掛鯛,切山椒などをうるが本趣意であったが、何時の頃から安くて美味いという浅漬大根の店が幅を利かしだして、今では恵比寿大黒の店などは圧倒されてしまった形勢である。
(この文章は明治40年代のべったら市のことを書いている。明治20年代までは大伝馬町の方が織物問屋の景気がよく、どちらかといえば人形町の方は新興問屋だった。明治後期、金巾・モスリンは堀留から人形町方面だった。)
さて、この浅漬売と言うのは、何れも白シャツ紺の腹掛けに向こう鉢巻といういせいのい良いいでたちで,町の両側にずらりと店を並べ、粕のベッタリついたまま売るので、糸織り小袖を着た商人も、高島田に結った年頃の娘でも,皆このむき出しの浅漬を縄に縛ったままで,平生ならとても出来ない真似だが、この日に限って平気の平左で、だらりぶらりと下げて帰る。
(明治末期は500から600軒の浅漬商の露店が出ていた。平成のベッタラ市の浅漬大根、つまりベッタラを売る露店は30軒くらいである。明治時代の浅漬を売る露天商の数字は信じられないくらい多い。なおこの他に植木商,その他も多数出店していて1000軒をゆうに超えていた。男の商人は着物に明治20年頃から“鳥打帽”が、明治30年頃には紳士の間で“山高帽”が流行した)
ところがこの市は東京一の人出と思われるだけあって,夜の人出はことのほかで往来の人は歩くのでなく、ほとんど自然に浮かされてるくらいなるが中を、子供や生酔いの連中は、ワザワザ婦人連の側に寄るように「おい、べったらだ。べったらだ」といっては、下げた大根をブラブラと振り回す。女子供はキャッツキャッツと言って逃げようとする。これがためべったら市と言うのだそうだが、今では警察の眼が非常に厳重になって来て、表面だけ大分こんな悪さが減ったようであるが、それでも、夜などはなかなかにこのベッタラベッタラが行われ、キャッツキャッツと言う声が時々耳にのぼることがある。
(明治40年代の日本橋署のべったら市の雑踏警備は非番の巡査を動員し。更に隣接の警察からも応援をしてもらい、路面電車の社員・工夫等を動員し、市電の安全を確保し、また各商店ではそれぞれ消防に警戒を依頼していた。)
万朝報の記者であった若月 紫蘭の「東京年中行事」下巻には年後半の東京の行事が書かれています。
この文章を解説したいと思います。
べったら市(10月19日)
十月の十九日、日本橋通旅篭町、人形町、小伝馬町、通油町へかけて立つ浅漬大根の市にて、元来が明日の夷講のの支度の必要なる土製木製の恵比寿大黒,打出の小槌,掛鯛,切山椒などをうるが本趣意であったが、何時の頃から安くて美味いという浅漬大根の店が幅を利かしだして、今では恵比寿大黒の店などは圧倒されてしまった形勢である。
(この文章は明治40年代のべったら市のことを書いている。明治20年代までは大伝馬町の方が織物問屋の景気がよく、どちらかといえば人形町の方は新興問屋だった。明治後期、金巾・モスリンは堀留から人形町方面だった。)
さて、この浅漬売と言うのは、何れも白シャツ紺の腹掛けに向こう鉢巻といういせいのい良いいでたちで,町の両側にずらりと店を並べ、粕のベッタリついたまま売るので、糸織り小袖を着た商人も、高島田に結った年頃の娘でも,皆このむき出しの浅漬を縄に縛ったままで,平生ならとても出来ない真似だが、この日に限って平気の平左で、だらりぶらりと下げて帰る。
(明治末期は500から600軒の浅漬商の露店が出ていた。平成のベッタラ市の浅漬大根、つまりベッタラを売る露店は30軒くらいである。明治時代の浅漬を売る露天商の数字は信じられないくらい多い。なおこの他に植木商,その他も多数出店していて1000軒をゆうに超えていた。男の商人は着物に明治20年頃から“鳥打帽”が、明治30年頃には紳士の間で“山高帽”が流行した)
ところがこの市は東京一の人出と思われるだけあって,夜の人出はことのほかで往来の人は歩くのでなく、ほとんど自然に浮かされてるくらいなるが中を、子供や生酔いの連中は、ワザワザ婦人連の側に寄るように「おい、べったらだ。べったらだ」といっては、下げた大根をブラブラと振り回す。女子供はキャッツキャッツと言って逃げようとする。これがためべったら市と言うのだそうだが、今では警察の眼が非常に厳重になって来て、表面だけ大分こんな悪さが減ったようであるが、それでも、夜などはなかなかにこのベッタラベッタラが行われ、キャッツキャッツと言う声が時々耳にのぼることがある。
(明治40年代の日本橋署のべったら市の雑踏警備は非番の巡査を動員し。更に隣接の警察からも応援をしてもらい、路面電車の社員・工夫等を動員し、市電の安全を確保し、また各商店ではそれぞれ消防に警戒を依頼していた。)