唾玉集から
明治30年代の芸者さんの話
千歳米坡は東京都中央区の人形町付近にあった芳町の芸者で、明治時代で歌舞伎踏襲の女役者はいたが、新演劇への近代日本の女優第一号、千歳米坡が最初である。
千歳 米坡(ちとせ べいは)
安政2年(1855)10月、東京下谷の桜木町に生まれる。芳町で米八と名乗り芸者に出ていた。33歳の時、女優をする。大正7年(1918)没。
千歳米坡の談話は明治中頃以前の侠客や芸者の事情が江戸時代末期と明治の30年頃と比較して話している。今の辞書にはない用語が数多く出てくる。『座附』『火事師』『お留主居茶屋』『口入屋』『桂庵』『番組人人御用達』
米坡の話では芸者と客の関係が明治中頃から変ってきていて今の感覚で理解すると状況が把握できないことになる、明治の中頃以前は芸者を直接口説く客が少なく間に立つ人を介して話をつけていたと言う。横浜富貴楼のお倉の存在はそのような役目(仲介人)を果たしていたのだろうか。
明治30年代の芸者さんの話
千歳米坡は東京都中央区の人形町付近にあった芳町の芸者で、明治時代で歌舞伎踏襲の女役者はいたが、新演劇への近代日本の女優第一号、千歳米坡が最初である。
千歳 米坡(ちとせ べいは)
安政2年(1855)10月、東京下谷の桜木町に生まれる。芳町で米八と名乗り芸者に出ていた。33歳の時、女優をする。大正7年(1918)没。
千歳米坡の談話は明治中頃以前の侠客や芸者の事情が江戸時代末期と明治の30年頃と比較して話している。今の辞書にはない用語が数多く出てくる。『座附』『火事師』『お留主居茶屋』『口入屋』『桂庵』『番組人人御用達』
米坡の話では芸者と客の関係が明治中頃から変ってきていて今の感覚で理解すると状況が把握できないことになる、明治の中頃以前は芸者を直接口説く客が少なく間に立つ人を介して話をつけていたと言う。横浜富貴楼のお倉の存在はそのような役目(仲介人)を果たしていたのだろうか。