年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

お盆中の読書

2014年08月16日 | 福神漬

 

長英逃亡 下巻

嘉永3年10月末、青山百人町で高野長英は南町奉行所配下の者によって、撲殺された。長英を匿った人たちの処分が嘉永3年12月21日に町奉行遠山金四郎によって行われた。

 長英逃亡の小説の中で 『おゆら騒動』が取り上げられていた。この薩摩藩へ筒井政憲が阿部伊勢守の意向を受けて動いていて、嘉永3年12月初めには薩摩藩主交代を勝ち取った。

つまり幕府にとっては長英の逃亡を匿った内田弥太郎を処分するには実に都合の悪い時期でもあった。嘉永2年より下曽根金三郎の下で内田弥太郎は浦賀で働いていていた。下曽根は筒井政憲の次男であった。筒井、下曽根、内田は鳥居 耀蔵(とりい ようぞう)が画策した冤罪の被害者でもあった。

維新史料綱要 嘉永2年6月5日幕府、小姓組下曽根信敦(金三郎)を浦賀に遣し、砲術教授及警備勤務を命ず。尋で、門人内田弥太郎「浦賀奉行手付」を信敦に付属せしむ。

嘉永3年も下曽根、内田弥太郎は浦賀で夏季は(史料はまだ見つからないが)働いていたように思える。弘化末年から嘉永年間の浦賀奉行が戸田伊豆守氏英でここでようやく花香家と戸田家が関係を持つ可能性が出てきた。留守居だった筒井政憲は老中阿部伊勢守に重用されていたようでこの次期浦賀にしばしば出張していたようで戸田とも面識があったと思われる。後に戸田氏英3男昌言を長井家に養子の斡旋をしたのが筒井だった。ここで火付盗賊改だった長井家、南町奉行を20年ほど勤め上げた筒井政憲、さらに土浦の関東取締出役で活躍した内田佐左衛門が関係しているようだ。蔵書家であった内田佐左衛門がどのような理由か不明だが万歳村花香家と関係があり、内田弥太郎(五観)の著書を持っていた。天保水滸伝の最後の万歳村勢力富五郎を自決させた人物でさらに大原幽学を改心楼乱入事件で悪役となっている内田佐左衛門の別の姿が見えてくる。組合村の寄場村となっていた万歳村の二人代表の内、花香家は当主が当時30歳ほどだったので史書や講談には名前が出ず、今の歴史家には知られていないようだ。

 福神漬の命名の裏付けを探っていくと幕末東関東での治安維持の人間関係が見えてくる。

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すき間だらけの築地

2014年08月15日 | 築地市場にて

既得権でぬくぬくしていた築地現状維持がオリンピック開催という強引な手段で閉鎖の時期が決まりつつある。全体として食のマーケットは人口減少と高齢化によるエネルギー(カロり-)摂取量の減少で小さくなっているがすき間の部分は何時もあって伸びている会社も多数ある。だが全体としては見れば苦戦しているところが多い。豊洲へ向かって新規参入するところもあるだろう。

人口の推移のデ-タ予測では10年後の日本では生まれる人が78万人で死ぬ人は150万人という。団塊の世代の人たちの寿命がつく時期が始まる。この年以降は毎年70万人以上人口の減る状態が続く。つまり毎年高知県(平成26年8月1日推計値78万人)の規模の人口が消えるということである。高齢者は消費者で生産者でないので物価上昇には労働して対価を得て生計を保持する行為は出来なく、生きてゆかねばならない。消費税が上がって年金が減る状況では消費も保守的になる。働いて物価上昇に対抗できる人ととの差は広がる。これから年寄りのつらい次期となるだろう。今まで良すぎた反動と見るしかない。年寄り優遇政策を続けると益々人口が加速的に減り、もっと厳しい老後が来る。移民も考えなければならないが韓国のとの関係の歴史を見ると日本人は移民をドンドン受け入れる国にはならないだろう。

 効率化した食のマ-ケットで非効率的な所が注目されるだろう。食はエネルギ-を得るためだけではない。それしか築地場外の残る道ははないだろう。

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柳原白蓮の経歴から

2014年08月14日 | 宅老のグチ

 

数年前、べったら市の歴史を調べるため、横浜の開港資料館に通って新聞を読んでいたことがあった。その時白蓮事件の報道があってただ記事を眺めていた。当時の報道合戦は今のスポ-ツ新聞の報道以上激しく、個人の人権など無視していて、実名実住所報道が許されていたようだ。ただそれは反論がないということが前提で時にはねつ造、推測記事が横行していてシバシバ訂正記事が後日掲載されていた。今でも当時でも訂正記事の大きさは最初の記事より小さい。

 柳原百蓮は一般に皇室と関連あるように経歴が書かれているが福神漬での資料調査ではアメリカとの条約批准の使節の代表新見正興の孫であった。目付が小栗忠順でアメリカ土産として長井昌言がワッフルの菓子焼き器を小栗から貰ったという。柳原家には養女として入籍した。

明治期、旧幕臣と関係ある人たちは経歴を語ることが避けていた様な気がする。

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盆休みが明ければ日の出が5時台に

2014年08月13日 | 築地市場にて

 

ようやく8月も盆休み前となって、例年と違って運転手不足から運送会社の休日重視が増えたようで、荷物の集中化が酷くなった。積み残しがあるということで12日までの到着手配となる。年末並み入荷量となる。予期せぬ台風も最小被害ですんだようで一安心。花火大会も何処の話かと思うくらい話題にもならず時間が過ぎ去る。

 昨日の雨で涼しい夜だった。雨の前線が天気図に見えてきた。夜間の気温が20度を下回るのは何時だろうか。

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世界最古の漬物会社 六必居 北京

2014年08月12日 | 築地市場にて

 

中国で最も歴史の長い企業は、1538年に創業した「六必居」である。[1530年説もある]次は、1663年に創業した鋏の老舗「張小泉」で中国で今まで創業150年を超えた老舗は、ただ5社だけである。この六必居という長寿会社は漬物業という。ということは日本の漬物業で知っている限り、本業が酒造業とか味噌業で余業として漬物を作っていたことを除くと、純然たる漬物で生計を得ていた会社は京都市内の奈良漬会社で江戸時代創業[寛政元年(1789年)]の歴史となる。つまり六必居は日本の歴史で見ると戦国時代で中国漬物会社の方が古いこととなる。知っている限り世界最古の漬物会社ということではないのか。中国では漬物業は日本より、社会的評価が低いようで贈答品として漬物を送ると見下した品物を送ったように感じるという。(上海生まれの女性よりの話。)中国文化大革命の混乱も漬物業ということで弾圧を免れ会社が継続されたのだろうか。

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荒天中止の話

2014年08月11日 | 築地市場にて

 

昨日は全国的に台風の影響で花火大会等の行事が中止となったようだ。行事の開催で商いをしている人や準備に携わった人達の落胆が目に浮かぶ。明治5年に暦が和暦から太陽暦に変わって、年末の行事だった日本橋べったら市が一ヶ月ほど前になってしまった。いまは10月19日20日の開催となっているがこの日は10月の中でも雨天の確立が高く、べったら市の露天商を悩ましていた。植木商等は次の市に回すことが出来ると思うが[べったら]はよその市に回すと価格が保てないので大損となる。またべったら用の大根は冬になると甘味が増すが10月中旬にはまだ辛味が強く、そのため大根の品種改良とか、甘味を増やす工夫をした。水あめ、甘草等から明治中期にアメリカで発見された人工甘味料を使用して甘くしたこともあった。

 今は冷蔵庫があるので雨天中止となっても他にまわす工夫が出来るので損害が少なくすることが出来るが販売機会を逃すことには変わりない。

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花火大会の中止

2014年08月10日 | 築地市場にて

 

例年なら土曜日開催の東京湾の花火大会がドウいうわけか日曜開催となって、築地市場の警備関係者を心配させていたが荒天のため中止となり、日曜早朝の市場内のアナウンスが静かである。花火の見物客が築地市場内を徘徊すると食の安心安全を維持しようとする行政を危険にさらす懸念があるし、落下物、ターレ-等の危険性を認識していない人多数来ることは恐ろしい。

 いつもならウルサイ位の場内放送も台風11号の進路予想で昨日はおとなしい形式的な場内放送だった。多分心の中では天気予報を信じて、台風のため花火大会は中止と予想し、おざなりの言い訳となる市場の案内放送をしたと感じたのは私だけだったのだろうか。

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盆前の異例の台風で

2014年08月09日 | 築地市場にて

 

旧盆前の台風で交通混乱があるようだ。帰省前ということで休み明けの混乱がなさそうだ。今度の台風一過で秋が来るのが早くなるか残暑が続くかわかるだろう。偏西風が弱いのだろうか台風の進路予想がロシアに向かっている。珍しいコ-スだ。

 台風期間中、吉村昭[長英逃亡下巻]を読むこととする。高野長英が町奉行所の配下の者に撲殺された後の話が気になる。諸説あるがどの高野本でも内田弥太郎の関与と当人に対する幕府/町奉行所の処分がないことに不思議とされている。何かがあったとすれば話としてつじつまが合うのだろうか。嘉永3年となれば既に蛮社の事件は冤罪とみなされていただろう。しかし町民の高野が計画脱獄したことを町奉行の人達にとって見逃すことは出来ないことであったと思われる。今でも未決の刑事被告人が取り調べ中に逃亡すると犯罪の有無に関係なく大騒ぎとなる。

 南町奉行所は佐久間長敬、原胤昭の所属していたところである。何か言い伝えはなかったのだろうか。日本郵船のカレ-ライスと福神漬、自由民権運動福島事件がここで解明できる気がする。

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杞憂だったのか

2014年08月08日 | 築地市場にて

 

先週東京湾の花火大会が日曜日開催問題を書いたがどうやら台風で中止の可能性が強まった。中止となればどのような問題が生じるのだろうか。よく当たる天気予報が行事催行の決断を迫らせる。

 決断のないことは楽で迷いが生じない。豊洲移転で行くか、やめるか、統合を考えるか等,選択肢の多い人ほど悩みが多い。今日も東京は暑い。明日8月9日は豊洲市場完工まで600日となる。時間があるようだがバタバタする気がする。

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井の中の蛙

2014年08月07日 | 築地市場にて

 

築地場外市場に新潟の水産業者が店舗を出すようだ。築地の名前を店舗名に加えている和食レストランがかなりある。たこ焼きの築地銀だこも築地場外市場に出店するまでただの[銀だこ]だった。銀座に店舗があった名残であろう。一時築地もんぜき通りに店舗を出し、築地銀だこと名前を変えた。今は築地には店舗はないが築地の名前は残してあるようだ。豊洲へ築地市場が移転することで新規参入の機会を狙っている業者がかなりあることを築地の中で仕事をしている人は知らないようだ。たぶん水産業界の一極集中が豊洲で加速されるだろう。ということは今は盛業しているところもいずれ物流センタ-化が進むだけで、豊洲へ足がかりのないところは情報も消え、つまらない仕事となる。水産業界で働く外部の人にとって豊洲への参加は将来に生き残る道かもしれない。

ロシアが日本産の食品禁輸の話が出ている。築地の仲卸は結構海外需要で生活しているところもある。痛い。漬物は昔はロシアに多くがガリ用生姜が出ていたが円高のときから中国からロシアにガリが出ているようである。

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今年の台風の移動速度の遅いこと

2014年08月06日 | 築地市場にて

 

台風12号が韓国方面に向かったが移動速度が遅い印象があった。今接近している11号はまた遅い。四国が大雨でキュウリの作柄が気になる。それに反して福島は順調な気がする。結果は9月にならなければわからない。中国の食不安が再燃し、国産需要が増えると思うが気まぐれな日本消費者と食バイヤ-に翻弄された農家はやる気のある人を疲労させる。安定した生活を農家が得るためのは固定した消費者が必要となる。それには説明のある農業がないといけない気がする。天候がよいと殆ど経費がかからず作ることが出来る。でも労力、運搬費等は経費がかかるのだ。企業が農業に参入して失敗するのは安価になった非工業的生産で作られた農産物でまずいことに品質の差は感じられない。

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盛夏の候

2014年08月05日 | 築地市場にて

 

天気の統計で86日ごろから10日頃が一年で一番気温が高いようだ。後数日で統計のように気温が下がるのだろうか。

 熱中症を防ぐには水分の補給が一番大切だが夏後半にはクエン酸補給が必要となってくる。まだ今年の梅干の売れ行きから、まだ熱中症はひどくない気がする。車の温度計が39度を示していた。梅干しが延着する。やはり荷物が多いのだろうか。

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八朔の雪

2014年08月04日 | 築地市場にて

消えた文を思い出して書き留める。

8月1日の日本経済新聞コラム春秋に八朔の雪という文があった。八月一日は江戸幕府では重要な日で総登城する日であった。このお祝いの日に便乗する形で吉原の遊女が白無垢姿で客を迎えた。この姿を八朔の雪という言葉の由来である。八朔は旧暦なので今の新暦だと8月下旬から9月初めとなる。今年は8月25日となる。

 新橋芸者の数も少なくなった。今の感覚だと白塗りの顔だろう。新橋の雪は夕方現れる。築地の雪は茶屋ところに現れる。魚の鮮度維持の雪である。

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無駄な経費

2014年08月03日 | 築地市場にて

 

築地市場が狭いため無駄な経費がかかっている。一昔、いや年代物の鉄道貨物用の物流システムで作られていたため、使いにくい配置となっている。また既得権のため、なかなか施設の配置が円滑な物流を妨げている。市場の中の物流費が合理化できないため、市場経由の商品が高くなり取扱高の減少を招いている。そもそも高価な築地の物流費は施設の問題で一企業で解決できることではない。そのため労働災害が多く、労働監督署のマ-クしている地域でもある。このまま労災の多いブラック市場から豊洲は脱出できるのだろうか。

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ただ今工事中

2014年08月02日 | 築地市場にて

市場の周りの工事で早く立ち退けという雰囲気が感じる。今日の予定稿が消えて、あわてて書き残すが朦朧とした頭にはただ時間が過ぎる。とりあえず書く。終戦からもうじき70年となる。まだ歴史にはなっていないようだ。生きている証人が消えて何年たったら歴史になるのだろうか。日本の戦争が終わって世界で平和な年があったのだろうか。

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