年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

港区立三田図書館で精工舎の社史を読む

2023年02月13日 | 宅老のグチ
港区の中央図書館というべき新しい図書館に令和4年4月 にできた。JR田町駅、都営浅草線・三田線の三田駅から数分の所にある。札ノ辻スクエア内の4階にある。最近の区立の図書館で新しい中央図書館的存在の所は1階には無いように思える。特に2019年10月の台風19号(東日本台風)で川崎市市民ミュージアムの地下収蔵庫が浸水し、収蔵品 が被災したさらに対岸の東京都世田谷区の東京都市大学の地下にあった図書館の水没を意識しているのだろう。墨田区の曳舟図書館もエスカレ-タで2階に上がりさらに郷土資料室はその上にある。一般書なら水没しても再購入は可能だが貴重書の多い郷土資料は難しいと思う。三田図書館で読んだ本は時計の精工舎の社史であまり漬物と関係なさそうだが叔父の絡みで読むことになった。東京都の図書館横断検索で都内の蔵書のあるところでさらにシルバ-パスを使って行くところで出た図書館が三田図書館だった。麻布十番駅から歩いて行ってた都立中央図書館は工事中で何かと不便と感じる。この時期は公共施設でかなり工事中の所がおおいとかんじる。
 不思議なことに三田図書館は新しいのに館内で読む時間が少ないと感じる。特に休日の短さは別格である。
月曜から土曜(祝日等を除く):午前9時から午後8時まで
日曜・祝日・12月28日:午前9時から午後5時まで
 この時間なら夏ならまだ日没まで2時間もある。何か理由があるのだろう。中央区の中央図書館で夏場に席が臭いのきつい人に席が確保され、寝ていた。多分エアコンのあるところで時間をつぶしているのだろう。満席の読書室でその人に周囲が空いていたことを思い出した。
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新宿駅で迷子となる

2023年02月12日 | 宅老のグチ
京王線上北沢駅付近のキリスト教会内に賀川豊彦の資料館がある。もう3回目なので駅からは慣れたもので5分もあれば着く。
 毎回行く経路を変えるが、シルバ-パスを使って行くので新宿で乗り換えることにしていた。(乗り越し清算すれば簡単だ)都営新宿線は京王線と直通なので、前は新宿駅で降りて、地下鉄の位置確認をしてから、地下へ潜り、切符を買って上北沢に行った。乗り越し清算をすればよいのだが、いつ大江戸線の新宿駅で降りるか判らないから暇なときは後学のため降りることにしている。通勤通学なら不必要な行為だが暇な高齢者は好奇心で動く。
 賀川豊彦の戦中戦後の行動がかなり無理な行動であったことを知る。結構投獄されていたが、軍部はなぜ戦時中に投獄していなかった気になっていた。この辺が軍の内部に和平工作の人材と見ていたのだろうか。戦後も世界平和を唱えていたが、そのようには世界は動かなかった。弱くなった先進国が植民地独立となり、紛争戦争がまだ続く。このままだと賀川が願った世界は遠くなるばかりだろう。
 戻りでまた新宿に行くのだが、バス便の適当なのが見当たらず、また上北沢駅から新宿に戻った。こんどのコ-スは行きに大江戸線新宿駅で降り、京王線新宿駅から乗ったので、逆コ-スを選んだが、新宿駅で人の流れで改札口を出ると、その改札口がJRの連絡通路で、これでは入場券を購入したと同じで考え直し、JR山手線で原宿駅に向かい、明治神宮の遅れた初詣をする。山手線の車中の広告で三重県の梅詣でという動画があった。あまり三重県の梅干しは無かったという記憶がある。三重県は伊勢タクワンというのが産地として有名でお伊勢参りの人の提供されていた歴史がある。梅は何度もおいしい。花から梅の実、焼酎用、梅干し等多用途になっている。桜は花見で桜葉(桜餅 大島桜)八重桜の塩漬等しか思い出せない。
 帰途は代々木駅まで歩いて大江戸線にのる。やはり休日は新宿・原宿は若い人しかいないので、浮世絵の原宿大田美術館へは次回回し。
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風船爆弾

2023年02月11日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
アメリカで中国の気球が撃ち落された。
事実関係とか双方の宣伝合戦が真実の追求と世論誘導を行っていて、今や風船の中の気体より、陰謀が膨らんだ気がする。
 叔父の台湾で沖縄への特攻に至る経緯を学童疎開を研究している きむらけんさんの本『台湾出撃沖縄特攻』が昨年12月8日に出版されて、この本を持って春日部市の郷土資料館で米軍の進駐とか聞いてみた。
 今の東武野田線南桜井駅前にヤオコ―を中心としたショッピングセンタ-がある。そこが終戦間際に都内から移転し稼働した軍需工場だった。今のセイコ―ブランドの時計の会社が戦時中に大砲の信管を作っていたようで、昭和20年7月頃に出来た高射砲の信管でB29を何機か撃ち落したという。ある程度の高度になって爆発してという。想像だが花火が上空で爆発している姿を思い出した。どうなのだろうか。
 戦後になってセイコ―の工場は賀川豊彦の主導によって農村工業を目指し、農村時計製作所を作ったが間もなく業績不振となり、売れていた目覚まし時計のブランドで再発足したという。このブランドはリズム時計という。
 春日部市の郷土資料館のブログで軍需工場の製品の中に風船爆弾の部品もあったようで、アメリカの気球騒動で思い出した。ただ稼働時期が終戦間際で風船に使われてはいない気がする。それゆえ風船爆弾の本にはセイコ―のことは書かれていない。精工舎の社史で事実関係を確認したい。
 戦後に埼玉県にも米軍が進駐したがなぜか千葉県よりの南桜井に進駐したか理由が判らない。しかしこの米軍の進駐によって、1KM位しか離れていないところに住んでいた叔父の親族の恐怖感があって遺書等の処分をしたと思われる。同時に付近の集落の人たちの記録と記憶を消し去った。この時期に米軍と為政者とで庄和地区の人々に何があったのだろうか。この件は埼玉文書館で埼玉新聞を読んでみたい。何かありそうだ。
 戦争前には軍部が威張り、戦後も米軍が威張った。
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雪予報で外出の見送り

2023年02月10日 | 宅老のグチ
最近の天気予報で東京の都心の積雪予報の確率が低いと感じる。そのため雪の予報が出ていても、比較的無視していて、いざ小雪で首都高速が閉鎖となると騒動となる。外出しない人がデリバリ-の食事に向かい遅延が発生する。
 高齢者は積雪時の転倒で骨折し、寝たきりになりやすい。無理して出ない。雪はいずれ融ける。雷のおまじないはクワバラクワバラだが雪のおまじないはコンコンとふと思った。雪国では悩み物だが東京では記憶の事件となる。

 45年の築地での経験から夜間の積雪は準備が出来ていて車に乗る人の覚悟が出来ている。しかし予報があっても昼前からの降雪はまだ大丈夫という気持ちがあって、チェ-ンを持っていても着脱に慣れないので付けないで走行して途中の陸橋とか川を渡る橋の前後の坂で難儀する。数ミリの雪でも東京では事故となる。
 築地市場内の車の修理屋さんは降雪後の修理でいつも笑顔だった。降雪時は大事故でないので仕事とはいえ気が楽そう。風が吹くと桶屋が儲かることわざを思い出した。
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明治からの漬物組合の文献を千代田区の図書館で読む

2023年02月09日 | 宅老のグチ
千代田区の千代田図書館へ、関東漬物佃煮組合発展史を読むため久しぶりに行った。貴重書扱いなので貸し出しもなく、さらに身分証提示で、前回作成していた図書館カ-ドを出したら、期限切れだった。住所変更を行い、また2年有効となった。千代田区区役所の中にあるので、昼食時にはエレべ-タ-が混んでいて難儀した。
 図書館を出て、目の前の北の丸公園へ行き、近衛連隊の記念碑を見てから国立公文書館へ入る。ちょうど日本でのコレラ対策の歴史を知る。特に衛生という言葉が岩倉使節団の長与専斎が西洋でゲズンドハイツプフレーゲ、サニタリーなどと呼ばれた言葉を「衛生」と命名し、初代内務省衛生局長として、医学の知識に裏打ちれた政策を提言したという。今回のコロナで日本がロックダウンという政策を出さなかったのは長与の影響の様だ。
 公文書館を出て、目の前の皇居東御苑に梅林があるのに気が付き、中へ入る。梅林坂の所に梅が開花していて、もうすぐ満開となりそうだ。しかし老化した鼻は令和の香りを感知できなかった。 


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金融機関は普通の人に儲けさせたことがあるのだろうか

2023年02月08日 | 宅老のグチ
長いデフレが終わりそうで、普通なら預金よりもう少しましなところへ資金を個人が動かしてよいのだが、どうも動きが鈍い。戦後の長い間は日本の金融機関は一般預金者への還元が少なかったし、今では金庫扱いとなって給付金を出しても預金が増えるだけで、乗数効果が出ない。江戸時代の宵越しの金を持たない風潮はどこへ行ってしまったのだろうか。戦時国債で価値が消えた記憶がまだ残っているように思える。
 金融機関の社員へのノルマによって消費者は預金をだまし取られる。時には金融機関の社員も騙される。金融機関の社員も家に帰れば家計を維持する人となる。多くの会社を守る、拡大することの行為が会社を大きくすることは出来たが社員の幸福度はそれほど増えなかった気がする。
人は得した記憶より,損した記憶が残る。高齢者は先が短いし、儲けてもあの世では使えない。そこで合法や非合法の詐欺師に騙される。次々と出て来る手口の変化は激しい。そこにまた情報弱者の知識が付いてゆけない。スマホを持っていなければSNSの詐欺メ―ル被害はない。
 空き家の商店街に街の情報喫茶店があってよい気がする。
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ポイントカ-ドから個人情報

2023年02月07日 | 宅老のグチ
夜ある量販店から電話がかかってきた。用件はお客様の購入した商品に異物混入がありそうなのでということだった。どうやらクレジットカ-ドとポイントカ-ドで購入者を割り出し電話してきたようだ。もう食べてしまって、異物混入は無いと伝えた。
 個人情報の洩れと、購入履歴のデータ収集を消すため、時々量販店の店を変える。電話してきたところは家から車で10分もかかるところで、歩いて10分程度に同じ組織の量販店がある。
 個人情報もれ対策を考えないと思うがアニサキス問題もあるので悩ましい。購買傾向が把握できると強盗の対象にも時代である。
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埼玉県春日部市郷土資料館へ

2023年02月06日 | 宅老のグチ
押上のスカイツリ―駅から東武線に乗って春日部駅に向かった。471円。叔父の台湾出撃沖縄特攻の本を春日部市郷土資料館へ寄贈するために行った。駅を降りるときに出口を間違え、西口に降りてしまい、スマホで郷土資料館を検索し、向かう。踏切を探し出し、東武電車の線路を眺めていたら、X字にクロスする東武日光線と野田線が今でも平面で交差していることを知った。本数の少ない野田線は今でも春日部から埼玉県内は単線である。駅付近が再開発の工事が始まっていて、数年後には激変するだろう。日光線を優先するため、中々春日部駅から野田線の電車が出発できない理由が理解できた。
 郷土資料館で快く受け入れてもらい、叔父の消えた記憶と記録の復活をお願いした。帰りに春日部市の町案内の人と雑談する。2月4日に春日部駅の東口が工事のため、新しい入り口がオ-プンしたという。駅入り口にはクレヨンしんちゃんの絵があった。東京向けの東武線の時刻表では中目黒と中央林間行きがあって、慣れないととんでもない所に行きそうだ。
 春日部は昔は日光街道の粕壁宿で 賑わっていた。でも初めて駅から降りた。いつも日光線の通過を待っていた思い出が残る。

 カスリーン台風 昭和22年(1947年) 9月14日~9月15日 
利根川の堤防が決壊し、東京都内まで洪水が来たカスリ-ン台風の後、叔父たちの水田は長い間水没していて、国からの要請があった供出米が激減した。他の村よりはるかに少なかった。そのため埼玉新聞等を読んでいると、南桜井駅付近に駐留していた米軍の司令官が村人を集め、説諭していた報道があった。この影響がどうあったか判らないが叔父の親族が遺品を抹消した行為につながる気がする。
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叔父に会うため靖国神社遊就館へゆく

2023年02月05日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
4日 数年前から財布の中に入っていてボロボロとなっていた靖国神社遊就館の無料入場券を使った。叔父の所属していた陸軍第8航空師団204飛行隊の仲間たちは、戦後の戦友会の開催地として靖国神社で2月4日に会っていた様だ。すでにこの会合が無くなり、靖国神社の団体集結の場所は閑散としている。もう78年の年月は大方の人たちが100歳か亡くなっていて歴史となりつつある。こんどのコロナは時間を10年ほど先に進めたようだ。
 靖国神社遊就館へは記憶では3回目の訪問だが前回の訪問時に気になっていた北白川宮の展示がほぼ消えていた。しばしば展示物の交換をしている様だ。この遊就館の説明文は日本の近代軍事史を戦前の日本の主張で説明していて、叔父がなぜ特攻隊員になってしまった負け戦の過程が解かる。それでも叔父は生きて農村工業を発展させたいと思っていたと思う。しかし時局はそれを許さなかった。
 亡くなった人の写真が1万人ほどあって、叔父の写真は61番目の所の目の高さにあって、見ている自分にまた来たかという目で見られた気がする。刻まれた文字より写真が若さというものを表現していて多くの若者が亡くなった。いずれ自分の持っている写真は消えるがここに保管されれば後世に残る気がする。
 靖国神社遊就館の隣にある戦友たちの会合施設を亡くなった兵士の写真を掲示する施設を増やせないのだろうか。生き残った遺族たちが保管して残されている兵士の写真が消えつつある。

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鬼滅の日 節分会

2023年02月04日 | 宅老のグチ
2月3日日本各地の寺院等で節分会が開催される。3年ぶりという。川崎大師、浅草寺等のHPで参加人員を比べると、見た限り1万人という。大本営の戦果並み。
 浅草寺の境内脇の式場からとても1万人も入りそうにない。1万人の混雑は見えない。確か数回に分けて豆まきをするというがどう水増しするのだろうか。浅草を観光している中国人に福豆を受け止める人をカウントを依頼していそう。
 浅草寺は大きな提灯が3っつあって、一つは築地の最盛期の時代の寄贈(昭和48年10月28日・1973年)
本堂の前の提灯は新橋料亭と芸者衆の寄贈で令和2年。テレビで見かける
浅草寺・雷門の大提灯は松下電器の寄贈で2020年令和2年の新調という。
これでは築地の弱体化を感じる。もっとも昭和48年なら築地の仲卸は1300を越していて、今は400台という。
 浅草線泉岳寺駅に降りて数年ぶりに泉岳寺に入った。以前に騒いでいた山門前の所にマンションが建っていた。いつの間に義士の墓所には無料で入手無くなくなって、パチンコの景品買いのような感じで線香を購入するようになった。想像だが宗教行為として節税だろう。
 義も税の工夫がいる。物価高で給与が上がると税とそのほかの天引きの金額も上がり手取りが減る。政府のいう、将来の年金に反映するというが信頼性にかけ、お土産秘書官が散財していては納得感がない。
 福も鬼も内にいる。
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日本史で雪の日の三大事件

2023年02月03日 | 宅老のグチ
ニュ-ヨ-クでまだ積雪が無いという記事を見て、そういえば東京でも本格的な積雪が無いなと思い、日本史の中で三大積雪の中の事件を思い出した。
1 赤穂浪士の事件
2 桜田門外の変
3 226事件
 どれも漬物の歴史は関係なさそうだがやはり人とのつながりで、無縁ということはない。
 旧暦の2月4日に赤穂浪士はそれぞれの収容先で切腹となった。歌舞伎等の切腹の場面では桜の散る中で死んでいった。元禄16年2月4日は今の太陽暦では(1703年3月20日)なのでサクラが開花していてもおかしくないが散るには早すぎる。赤穂浪士の逸話の中で、討ち入り直前に味噌漬ナタマメを食して気合を入れて討ち入りしたという。引用が少ないので根拠は不明である。
 同様に桜田門外の変は旧暦安政7年3月3日の江戸城へのひな祭りの登城日(1860年3月24日) 
これも福神漬の調べごとでは関係なさそうだが、やはり無縁ということはない。 
 最後の226事件は多くの近衛師団兵が埼玉県出身ということで、叔父の絡みで史料が出てくるかもしれない。
 そうなると2月4日は気になる日となる。暦ではこの日から春となり、冬の話から早春の話題に替わる。
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スシロ―べろべろ事件で思う

2023年02月02日 | 宅老のグチ
ネットの動画でクリック数を稼ぐため、マナ-に反する動画で上場会社の株価が下がる。これは株主に対するテロでもある。
 ただ気を付けないといけないのは株が下がるということは、株主が同様のマナ-に反する行為を誘発すると考えていると思う。厳罰に処して、さらに監視カメラで録画していても、食事を楽しむ客をテロリストと見なしていると同じである。
 防ぐ手段は食卓に客が来た時点で醤油とか箸等の用意をするか、無料提供の水のように客が取りに行くしかない。箸は紫外線で殺菌する箱に入れるとかもあってよいし、醤油も取りに行く。
 昔の小売店は総菜をオ-プンであってハエがたかっていた時もあった。次第に容器に入れ提供するようになっていった。安さ・速さだけ追及していると予期せぬところから不祥事が生まれる。
 コロナでス-パ-等では試食販売が消えた。同様にレストランでのバイキング形式も小分けとなった。事件が予想される時は人は対処を考える。
ソフトの不具合は多くの不慣れな人の予期せぬ・想定外の操作から始まる。回転すしの不祥事は予想できるし、マネされるから株主が客離れを考えたということでもある。落ち目となると運も悪く付いてくる。

 
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死んだ人の年を数える 江戸時代からあることわざ

2023年02月01日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
小さいころ、多分5歳から6歳ころ、江戸川の野田付近の父の実家に夏に一月ほど預けられた。今風に言うと宿題のない農村留学でひと夏を過ごした。今は当時の面影の藁ぶき屋根の農家が通勤圏となったため消えてしまった。東武鉄道野田線沿線で、最初の時は武州川辺駅と言って、次の駅は江戸川を渡った千葉県にあった。いまでも付近の江戸川の流れは速く、水戸街道国道6号線の橋から上流は野田市の野田橋と東武野田線しか昭和の20年代は川に橋が無かった記憶がある。いまは車が増えて渡る橋も増えたがそれ以上に東京と千葉の交通が増え今でも渋滞が続く。父の生まれた農家から出ると、後で知ったのだが古代からの住居地で高かったので、一面の水田風景が見え風が稲穂の揺れで見えていた。
 母に連れられ、国鉄時代の大宮駅で東武野田線に乗り換えた。JR大宮は新幹線の中心駅であるが当時は国鉄の上信越、東北方面の交通の要で大宮機関区があって蒸気機関車の音が乗り換え時に聞こえていた。そこから寂れた電車に乗ってゆくが春日部駅から先は単線となり、駅ですれ違いのため長時間停車していた記憶が残る。今でも武州川辺駅が移転した東武野田線南桜井駅は駅を出た途端に単線となっている様だ。千葉の方が最近は複線になっていて昔の寂れた風景が消えている。
 今年は関東大震災100周年ということで9月1日は震災の報道が多いと思う。二月になると鹿児島県南鹿児島市の知覧で5月3日の特攻慰霊祭の案内状が届く。東京の住民が鹿児島までの飛行機のチケットを取ろうとすると往復で10万円を越す。令和の初めに10連休というときに行ったのでもう二度とこの時期には知覧へ行けないと感じた。きむらけんさんの叔父の本が出て達成感があって、飛行機のチケットの安い時に数え年100歳になった叔父の集めた資料を記念館に入れたいと思う。確か叔父の資料は今まで何もなく写真しかないと言われている。大正13年生まれで、数え年なら100歳となる。もう叔父と言葉を交わし、語られる人も85歳を過ぎた。今の日本の統計上85歳を過ぎると認知症の人が急増する。2025年問題が過ぎれば2035年問題の本が出る。
 知覧での慰霊祭参加者名簿で特攻死した人がほとんど大正10年代からの人と気が付く。戦後の混乱期に優秀な親族の人が亡くなって苦労し、さらに犬死と言われた悔しさを感じる。もう78年だがまだ78年だ。今年も世界のどこかで理不尽な死がある。残された残った人はいつも生きていたらと思う。
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