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僕が憧れる人の一人、ミュージシャン水野たかしさん。
高円寺で『炎の雫』と言う店を開いて、営業していた。
昨年末に脳出血を患い、暫くお店を休んでいたのだが、何とか復帰。
その間に、今まで突っ走ってきた人生を振り返って、少しのんびりと暮そうと・・・・
『炎の雫』を5月一杯で閉店し、長い間暮らしていた、高円寺の街を離れ
千葉県の外房にある、いすみ市と言うところに拠点を移して再出発される。
御本人いわく、『炎の雫』は、『第1章・高円寺編』で、
これからは『炎の雫第2章・いすみ編』として、またお店を開くそうである。
水野さんとの出会いは、まだ2年足らず。
それでも、この人との話はいつも勉強になる事が多い。
話の内容は、殆どがギターの話やレコード・CDといった音楽の話。
音楽を聴きながら『これ、良いよね・・・・』てなレベルなんだけど・・・・
音楽の知識や蘊蓄を押し売りするような話じゃないのが、大好きなのです。
高円寺のお店『炎の雫』は、座席が20席足らずの小さな店だったので、
ライブもマイクやアンプを使うものより、生声・生音が主だった。
生の声の響き、アコースティックギターの音・・・・・
このお店で聴くミュージシャンの唄は、他の店で聴く時と何か違うものだった。
そんな話を水野さんにした事がある。
『アコースティックって言うのは、楽器本来の響きを生かした音の事だからねぇ』
と、言う答えが返ってきた。
ギターの音をマイクで音を拾うにしても、元の音が響いて居なければいい音にはならない。
声にしても同じ。体全体で、声を発しなければ響かない。
響かないから、音だけでは無く、何も伝わらない。
逆に響かせれば、その心まで伝わる・・・・そんな話だった。
大声で唄えば響くか?と言うとそうじゃない。
字では『大きく音を響かせる』と書いて大音響なんだけれど、一般の大音響は
『大きな音で響く』もので、決して『音を響かせ』ているのでは無かったりする。
大音響で演奏するだけのライブは、聞いていて『もう、いいや・・・・』になるけど、
良い演奏ならば大音響でも心地よい。
もう一つ。
同じアルバムなのに、何故CDで聴くのとLP(レコード)で聞くと感じが違うのか?
ずっと僕が疑問に思っていた事を話した事がある。
LPはいわゆる『アナログ』。CDは『デジタル』。
電気的な特性も、CDはフラットでアナログレコードよりも情報の欠落が少なく、
音源として、絶対にアナログに勝るはず・・・・なのだけれど。
実際には、何度聞き比べてもCDより、LPの方が心地よく感じる。
水野さんいわく、
『情報が多過ぎると、それに埋もれてしまって、肝心の物が見えにくくなるんだよ』
絵でも色んな色を使うと綺麗だけれど、綺麗さだけに誤魔化されて、
本来の構図や、タッチなどという部分が埋もれてしまう。
カラーが当たり前の写真でも、モノクロにすると人の表情がハッキリ判ったり
良い写真と悪い写真がハッキリと区別出来たり・・・・
『情報が多ければ、良いってものじゃない。何を伝えたいかが大事なんだよ』
と水野さんが話すのを聞いて、何処かで僕も同じ事を言った気がした。
そう・・・・・報告書の書き方を、弟子におしえた時。
書く方は、情報を沢山入れて、如何にもやったように見せたがるけれど、
受け取る側は、知りたい事だけに集中したいもの・・・・・。
だから、余計な事はなるべくそぎ落として書きなさいと教えて来た。
音楽と仕事を、こんな会話で結びつけてしまうのも面白かった。
人との会話って言うのは、分野が違っても通じるものが沢山ある。
人と関わると言う事は、そう云ったところが楽しいのでしょう。
水野さんは『こう云うオヤジになりたい』と言う僕の理想像に近く、
この人とは、この先もずっと繋がって居たいと思う人になった。
今日のFaceBookに、水野さんが新天地での生活が始まった事がアップされていた。
向こうで落ち付いたという情報が入ったら、電車に乗ってのんびりと
訪ねて行こうかなって思っている。
その頃は、僕も定年前の有給休暇の消化で、のんびりして居るでしょう。