「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「真っ白な心を…」

2009年09月04日 | 家族・孫話
この暑さの残る時期に、長~く咲いているサルスベリ(百日紅)。薄ピンク・ピンク・濃いピンク…と、いずれもピンク系の鮮やかな花が多くの家庭で見られる。
時折、「清楚」という字を絵に描いたような真っ白い花に出会うことがある。

二学期が始まってまだ間がない小学1年生。その真っ白い心に、何か目に見えない異変が起きている。

散歩に行っても、遊びに出ても、途中で神社やお寺に似た建物・ほこら、果てはお地蔵様にまで、ちゃんと手を合わせて「赤ちゃんが出来ますように…」とお祈りをしていた。“バアちゃん、お母さんの代わりに赤ちゃん生んで…男と女二人…”

それほどに弟・妹を待ち望んでいたカー君。実際に悠雅君という弟が生まれて、最初は手放しの大はしゃぎ。
ところが先日、“ジイちゃん・バアちゃん、悠雅君を上げる。連れて帰って…”と思いがけないことを言う。

その場は軽く聞き流したが、彼なりの真っ白い心に大きな変化を来すサインであったようだ。このところ、言葉遣いは完全な赤ちゃん言葉、何かにつけて今までの彼らしい、何かを予感させる迫力に欠ける。放課後教室でジトッと汗をかいて眠り込んだりして先生を驚かす。

「教室ではね、シュウチュウしてお勉強せんにゃいけんので眠れんかったけど、放課後では寝てもいいでしょ…」とのたまう。しかし、間違いなく情緒不安定であることに間違いない。いわゆる赤ちゃん返りという症状のようだ。へたにかばうつもりはないが、ここは一番、本腰を入れてジジ・ババの出番かも知れない。

サルスベリの花に色が付いているのはそれなりに見事である。が、何色にも染まっていない清楚な真っ白はまた格別である。できれば情緒安定のお手伝いをして、彼の心をもうしばらく「真っ白いまま」で保ってやりたい。

今一度花言葉辞典をひもといたらサルスベリは、「雄弁」 「愛敬」 「活動」 「世話好き」 とある。
これって、カー君の今までの行状を彷彿とさせるのか…などとジジバカ丸出し。応援団長も骨が折れる…。

       ( 写真: 清楚な真っ白いサルスベリの花 )
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「読書の秋というけれど…」

2009年09月03日 | 趣味・・エッセイ
はやい夕暮れ・そぞろ吹く風・集く(すだく)虫の音…読書の秋という人の言う……ああ、われ頭元をながむれば、読みかけの本うず高く、枕にするには硬すぎて……。トホホ…。

時やよし、読書に親しむか…とホンのちょっと意気込んでみる。
ふと枕元に目をやれば、あるはあるは12冊。机の上を合わせれば20冊近い本が散らばっている。
間違いなく「ひょっとしたら面白いかも…」と食指を動かしたのに違いない作品がズラリ。中にはお義理もある。

地震でもきて倒れかかったら、大事な鼻っ柱が折れるんではないかと…と思うくらいうず高い。いや、それほどでもないか…。兎に角、目次とちょっとした中味は目を通してはいるのだが、読みかけ中のものばかり。

精読・素読・乱読・通読・音読・訓読・積んどく……本の読み方にも色々ある。
それぞれにドクが付いているが、読書に毒になるものはあまりない。とんでもない大人の本は別として…。

現在のところ、小生の得意なのが「積んどく」である。
こりゃー面白そう…是非今度ゆっくり精読してみよう…取り敢えず積んでおく。次もまた同じことを繰り返す。積んどくの繰り返し、たまる一方。

それでも秋になったら…などと意気込む。これだけの本でも、1冊につき幾ばくかの知識が頭に入れば、それこそもっと読み応えのあるものが書けるはずである。
ご褒美として手に入る図書券を活用して購入しても、積んどくばかりじゃねー。 今日から新たな新聞購読。
もっともっと活字に親しんでみるか……。

       ( 写真:「あたりまえのこと」「エッセイ集」など数多くの【積んどく】蔵書 )
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「猪口を合わせて」

2009年09月02日 | 趣味・・エッセイ
またまた手前味噌というか、犬も食わない自慢話というか、時を同じくして毎日新聞に欄を変えて掲載された。
我ながら驚いている。こんなことは二度とあることではないので、今回だけは許そう…という寛大なお気持ちで、今日もつたないエッセイにお付き合い頂けると有り難い。


 食卓にお猪口が二つ並ぶようになったのは今年の初め頃だったろうか。
下戸の標本のような私。ほんの少々たしなむ妻。合わせても晩酌とよぶのもおこがましいほどの酒量である。
 それでも一日の締めくくりに「お疲れ」「ご苦労さん」と言葉を交わし、カチッと合わせるお猪口の音を楽しんでいる。

 母と3人暮らしの頃は、母に誘われるまま、たまに楽しんでいた晩酌。母の大腿骨骨折入院を機に封印した。

 「高齢ゆえ、いついかなる状態になるか。そのリスクをしっかり承知しておいてください」と医師からも、続く介護施設入所の面談でも厳しく申し渡された。

 夫婦で「2人同時にお酒を飲まない」「携帯電話は肌身離さない」と誓った。
緊急呼び出しにもすぐに車で対応できる態勢を整えておく。それが母と一緒に生きている証しなのだと思いたかった。

 骨折から3年、101歳の母を昨年秋見送った。
 その頃から携帯電話の扱いがぞんざいになり、どこに置いたかすぐ忘れる。固定電話で音を鳴らして探し当てることも多い。
 ただこれは、肌身離さなかった頃の緊迫感から解放されたせいだけでもなさそうだ。

 晩酌を復活させたように、携帯電話にも楽しい話、おいしい話での出番を増やせるよう努力して、少し緊張感のある生活リズムを取り戻そう。
 母の年を目標に、元気で楽しい老後を目指して。

             ( 2009.9.2 毎日新聞 男の気持ち 掲載 )


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「仏の苦笑い」

2009年09月01日 | 趣味・・エッセイ
一度つまずくと、立ち直りにかなり時間のかかる弱い性格。
そんなことが関係するのかどうなのか? 252文字の随筆に挑戦するがなかなかうまくいかない。

一旦うまくいかなくなると、落ち込みも激しい、益々視野が狭くなる。
こんなものじゃダメだ…と自分でダメ出ししてはまた書いてみる。やはりよくない。繰り返す。
しまいには、苦しいときの神頼み。オット…今回は行き詰まったときの仏頼みになってしまった。



「早く食べて」と催促の声が聞こえてきそうなイチジクが、赤く大きな口を開き始めた。
一番生り、最も食べ頃な旬の味。
熟れたて、もぎたてをほおばる。「こりゃ、うまい!」 また手が伸びる。
散々賞味した後で「うまいものは宵の口」「初物は東を向いて笑って食べる」
と言っていた母の言葉が頭をよぎる。
はたと気付いた。初物は先ず仏壇へ。生き仏はお下がりを頂くのがしきたり、だったことを。
順番をたがえたが、あれは毒味だったとの言い訳を込めて、最も形のいいおいしそうなのを、東向きの仏壇に供え手を合わす。
母は苦笑いしてるかな。     
               ( 2009.8.31、毎日新聞はがき随筆掲載 「仏の苦笑い」 )

           ( 写真: お盆提灯を仕舞う前のお仏壇 )

    
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