高校生だった1957年頃に“夜と霧”と言うナチのユダヤ人虐殺(ホロコースト)の記録映画を観た。
殺された人の山のように積まれた眼鏡や靴、虐殺の部屋などの直視できない映像にショックを受けた。
そのあとで買った“夜と霧”のドキュメンタリー本の写真には虐殺される前の骨と皮になった、目だけがギョロッと宙を見つめている集団や焼かれた灰の山、55年経った今も鮮明に思い出すのは、人の皮で作った電気スタンドのシェードを使っている女性の収容所職員の写真だ。
映画を観た夜は部屋の電気を消すと映画の凄まじい記録の場面が頭の中でぐるぐる回って恐ろしかった。
人間が人間を自分たちの主義にあわないことで、平然とガス室へ詰め込んで殺せたのかわからない。
狂気として片付けてしまえるものではない。
この本はヒットラーの警護をしていた男の記憶をたどった話だ。
彼の話からはホロコーストの事など出て来ない。
ヒットラーは護衛の一兵卒にも声をかけたりする人で狂気の人には見えていなかったようだ。
それにしても人間を戦争という狂気に走らせるの一体何が原因なのだろうか。
あの時代から70年を経た今も世界中で殺し合いが続いている。