ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

大井監督最後の夏の甲子園、2回戦で惜敗

2017-08-17 21:07:58 | スポーツ
まったく、惜しい試合だった。
夏の甲子園2回戦、新潟県代表日本文理、1点に泣く。
仙台育英に0-1で敗れた。

たった1点すら取れずに、敗れる。
どこかのサッカーチームなら、去年も今年も、見慣れた風景になってしまったが…。
いくら新潟の代表だからって、真似しなくてもいいじゃないか…。

失点のシーン。
一死一、三塁のピンチで、サードゴロをさばいた三塁手が、併殺を企図して二塁に投げずに本塁へ投げていれば、1点を取られることはなかった。
ほんの一つの判断ミスが、結局勝敗の分岐点となった。
それでも、三塁手を責めることはできない。
その後は、再三の好守で失点を防いだ守備陣であった。
一死三塁のピンチにも点をやらない、よい守りであった。
ただ、それを上回る、相手校仙台育英の守備であった。
外野手のダイビングキャッチや、内野手の好フィールディングに、得点を阻まれた。
互角の試合であり、本塁打が乱れ飛ぶ大会の中で、2回戦最後のこの試合が大会初めての0-1の僅差の完封試合となった。

この敗戦が、75歳の大井監督、最後の指揮となった。
大井監督に引導を渡す形になったこの試合、相手の仙台育英の監督は、奇しくも、大井監督の大学の後輩となる、早稲田大学出身の57歳の佐々木監督であった。

日本文理が準優勝した2009年まで、新潟県の高校の最高成績は、ベスト8が1回あっただけであった。
それが、あの9回表2死ランナーなしから奇跡の追い上げを見せた準優勝や、3年前のエース飯塚を擁してのベスト4進出など、目覚ましい活躍を見せるようになった。
その時の新潟県代表は、大井監督の指揮する日本文理であった。

名将大井道夫監督の勇退で、新潟県の高校野球はどう変わっていくのだろう。
ともあれ、大井監督の功績と今までの多大な労苦に、新潟県民の一人として、ねぎらいの大きな拍手を送りたい。

大井監督、本当にお疲れさまでした。
コメント (2)
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